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なつゆき。

夏と行き、夏が往き、夏に逝く

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戦カの痣花

 思えば。帰宅して家のドアが開いているとそれだけでものすごくそれはもう飛びあがらんばかりにおどろいてしまって心臓がどきどきしたものだったな、と。カードキーをリーダーに通して認証させながら健二は昔のことを思い出す。あれはいつのことだったろうか。ランドセルの肩ひもをぎゅうとにぎった感触を覚えているからとりあえず小学生のことだ。最短で五年前、最長で十一年前。あのときは懸命に避けていた夜勤に夜勤を重ねた母が洗濯をしに一時的に帰宅していただけであったけれど、明るいうちに聞くことの少ないおかえりのひと言に、なんとかえせばいいのかわからなくなってしまったんだっけ。
 小学生の自分の幻影が見えた気がした。もちろん気のせいだ。昔は引っぱるのにも少し苦労したハンドルを軽々引いて、がちゃりとドアが開く。玄関からつづく薄暗い室内(カーテンはきちんと閉めて出かけたから)。太陽を否定するような閉じたにおい(窓の錠もちゃんと落として出かけたから)。
「ただいま」
 返事がないのをわかって帰宅を告げるのはもはや習慣になっている。ため息をつくようなことでもない当然の事象。踵をすり合わせるようにスニーカーを脱ぎ散らかしてマットを一歩踏んで、振りかえりざまにチェーンロックをかけて鍵のつまみをひねった。がちゃん。
 自室へ行く経路として通過するダイニング。キッチンに接するL字のカウンターテーブルには『学校の先輩と先輩の田舎に行ってきます』というメモが出かけた日と変わらずそこにあって、代わりに編み細工のサイドテーブルに乗ったファクシミリ付きの電話が留守録を知らせるためにチカチカと点灯していた。内容は聞かないでもなんとなくわかる。あれだけ堂々的に報道されて、ほぼ初対面であった陣内家の人たちもそれとわかったのだから両親はもちろん学校の担任や大して話したことのないクラスメイトからもかかってくるに決まっている。ケータイのほうにつながらなければなおのことだ。それ以外のことで家の電話が鳴るなんて考えにくい。黙ってひかって自己主張をくりかえす電話を無視して短い廊下を進む。
ひさしぶりの自室はうっすらとほこりの、それと慣れ親しんだにおいがした。左側にベッドとクローゼット、本棚。右手に勉強机とデスクトップパソコン。正面には大きく取られた窓ガラス。散らかるでもなく、整然としているわけでもなく。あくまでもそれなりでしかない部屋は細く開いたカーテンの隙間から洩れる街灯の明かりでぼんやりと家具が浮きあがっている。ぱち、と壁に備えつけられたオルタナティヴ・スイッチで様相が引っくりかった。光源だった外が暗く。暗所だった内が明るく。反転。人がいなければ家はただ暗いところだ。
 帰宅時のルーチンワークであるパソコンの起動は行わずに健二は背負っていたリュックサックをベッドの横に下ろした。行ったときと同じ荷物。減ったのはレポートパッドとボールペンのインク。重量的にはあまり変わりのない荷物。そもそもの前提としてもっていったものが三泊分の着替えとレポートパッドに筆記用具、ケータイの携帯充電器くらいなのだから重いはずもない。上田から東京に帰るときになって陣内の人たちはこぞって野菜やら烏賊やらをおみやげにもたせようとしてくれたけどナマモノはわるくなってしまうからぜんぶお断りさせてもらった。トマトやキュウリならまだしも、烏賊なんてどう調理していいかわからない。OZにログインすれば料理のコミュニティなんて無尽蔵にあるだろうけれどそれらを覗く気力も起きない。
 着替えを出さなければと頭は考えているのにからだは勝手にベッドに転がった。もちろんそんなわけはないので脳が命じたことだ。スプリングが軋みをあげる。
すん、と鼻から空気を吸いこんでみればあらためて自分のにおいというものがわかって。上田では感じることのなかった自分の残滓。のこりかす。二回、三回と肩で息をして。ようやく帰宅したことを実感する。アイム・ホーム。一気に全身のちからが抜けてどっとからだが重くなった。
 ただいま、というところがホームなのだとなにかで読んだ覚えがある。本を読むのはきらいじゃない。ただそれ以上に数学が好きなだけで。いってきます。ただいま。無意識にもそう言えるところがホーム。だからこの家が健二のホームなのだ。たとえ家族との会話や食事がほとんどなくても。
陣内の屋敷はにぎやかであたたかくて、十七歳の健二がはじめて体験するような物事であふれていた。栄をはじめ、みんなが健二を陣内の人間だと言ってくれたけれど。それでも健二の家はここなのだ。東京二三区内に無数にあるマンションの一室。山なんて、ましてや朝顔畑なんてないコンクリート・ジャングル。
 本当は。留守電を聞きたくないのも、パソコンを起ちあげないのも、おみやげを断ったのも、リュックにつめた着替えを出さないのも。ぜんぶぜんぶさびしいと思いたくないから。健二の家はここで、ここなのに他人さまの家である陣内の屋敷をうらやんでしまうのが情けないからだ。みっともないと思う。となりの芝が青くみえるどころの話ではない。自分の家と陣内の屋敷を比較してしまう自分が嫌だった。両親にも、陣内の人たちにも失礼だ。
 夢のような夏休み。夢でよかったのに。夢ならよかったのに。けれどあの夏は現実のもので、健二は夏希に連れられて上田に行き、お葬式とお誕生会を体験し、世界の危機に立ち会って、世界が救われる瞬間をみた。不思議の国に迷いこんだアリスはこんな気分だったのだろうか。ルイス・キャロルが描いた彼女は夢とわかってなにを思ったのだろう。
 ルルルルル、ルルルルル。家電が着信を知らせるために甲高い音でさけんでいる。ルルルルル、ルルルルル。両親か、担任か、セールス。あるいは佐久間。家のほうにかけてくるなんてその程度しか思い浮かばない。でもなんで佐久間。自分で列挙した面子を反芻して疑問に思う。眼鏡の親友はいつもケータイのほうにかけてくるのに――ああ、そうだ。
ケータイは電源を落としていたのだった。帰りの中央線に、心臓にペースメーカーがはいっているのだと声高に主張する女性がいたから。
 行きとちがって、帰りはひとりだった。夏希は両親といっしょにお盆が過ぎたら帰るという。そのときいっしょに帰ろうと言ってくれたけれどさすがにそこまで粘るにはいろいろなものが限界で。ひと足先に新幹線で乗ってきたわけだけれど。
上田駅で別れるとき、OZでお話していればさびしくないよね、と提案する夏希に苦笑をかえしたのは自分で。チャットは一度はじめてしまえば切れるのがむずかしい。電話だったらこちらの都合で切ってしまえばいいけれどチャットはなかなか言い出しにくくて、けっきょくぐだぐだと夜が明けてもくだらない、ログを見直すともう目も当てられないくらい中身がなかったりするようなことを話していたりする。てゆかもう会話ですらないような。
 ルルルルル、ルル――唐突にコールがぷつりと途切れた。中途半端なところで切れたせいでなんとなく後味がわるく、だからというわけでもないけれど健二はベッドから上半身を起こす。さすがに両親にはメールくらい出しておかないと、どちらかが帰宅したときにまた悶着が起きそうだ。ふたりずついるときはそんなでもないのに、三人になるとどうしてか空気がぎすぎすする。三は不安定な数字だから。漢数字の三の向きを変えて整えてやればそれは模範的な家族を表す字になるけれど、それでも三は不安定だ。不安定な数字。聖なる数字。たぶんそれは自分ともうひとり分のスペースしかつくれないからで、三人目はとまどってしまうからだ。健二にも覚えるのある感覚。覚えがないとは言わせない、第三者を拒絶する壁。絶対恐怖領域、にほど近いなにか。それでも自分だけでなくもうひとり分があるのはけっきょくさびしがりでしかないから。
 ジーンズのポケットからケータイを抜き取って、フリップをぱくんと押しあける。電源ボタンを一秒以上長押し。真っ黒だったディスプレイがぼんやりと発光して起動する。くたびれた白の筐体はソフトだけが真新しい。連絡手段としてOZにつながないわけにはいかないからアカウントを取り直して、陣内家の子機回線を無断借用して取得したゲストアバターをそのまま引き継いだ。権限その他はまたこれから設定するとして、今はただのメッセンジャーでしかないアバターが待受画面をひょこひょこ歩く。
 
「はい」
『遅い』
「へ?」
『なにしてたの、お兄さん』
「え? て、え!? その声まさか佳主馬くんっ?」
『そうだけど』
 
「ど、どうして番号知って!」
『夏希姉に訊いた』
「先輩に……」
『それで。なにしてたの?』
「なにって、えっと、いまさっき家着いたところで、それで」
『へえ。おかえり』
「!」
 
『今度はなに』
「いや、うん……なんでもない、です」
『キモい』
「あははは……」
 
『今晩ひま?』
「う、うん。とくに予定はないけど」
『じゃあ九時にOZ』
「へ」
『都合わるい?』
「や、そうじゃないけど」
『ふうん。アドレスとパスはあとで送るから』
 
「あ、あの!」
『なに』
「あ……えと、やっぱりいいです」
『あっそ』
「すみません」
『べつに。……約束、したからね』
「九時だよね」
『うん。じゃ、OZで待ってる』



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ここまで書いておいて飽きたとか。
でも飽きちゃったからもういいんです。
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