夏休みの友という名の敵をひとつひとつ破壊していく。ゲームは好きじゃない。好きじゃないが、ゲームみたいなノリにでもならなければやっていられない。それでも上田の家にいるかぎりわからないなんてことはなくて。国語は夏希、英語は侘助。社会なら理一がくわしいし、理科も万作と太助がいる。家庭科の課題には強い味方が大勢いて、読書感想文だって納戸にある本を適当にななめ読みすればそれで良し。だからいまは数学の時間。むずかしいことはないけれど、同類項だ移項だ代入だと手続きがひたすらに面倒で。けれど佳主馬がおとなしく課題に従事しているのはこの退屈な時間に付き合ってくれているのが健二だという事実のせいだ。
カリカリと細いシャー芯がノートの上をこすれている。お世辞にもていねいとは言えない字。読みづらくはないけれど読みやすくもない。左辺にxのついた項を集めて右辺を整えて符号を直してをくりかえす。事務的作業。演算機器を使えば一瞬で終わる工程なのに。答えがひとつしかないのは潔白としていて清々しいけれどスリリングさはない。楽しいかと訊かれたらためらわずに首を振る。たとえ健二の前だとしても。長時間ペンをにぎっているのはあまり得意じゃないから。
ふと、座卓の反対側で納戸にあった教育心理学とかいう栄の蔵書を黙々と読んでいたはずの健二が突然手のひらを前に突き出した。撫でるような仕草は壁でもあるみたいなパントマイム。
「……なに、突然」
数式を書く手をとめて、佳主馬はノートから顔をあげる。シャーペンは離さない。なんでもなければつづけるつもりだからだ。作業にはもう飽きていたけれどあと三ページは終わらせなければ納戸にもどれない。なんだって宿題の進行に親のサインがいるんだろう。横暴だ。
ぺたぺたとなにもない空間に触れていた健二は答えないまま「うーん」首をひねる。
「三ミリ、かな」
「三ミリ?」
「うん」
「なにが」
「えっと、なんだろう。なんて言ったらいいのかな」
自分でもよくわかっていない感じで健二はへらりと笑った。
三ミリってどんなものだろうか。ペンケースから定規を出して、ノートの空いた部分に三ミリの線を引いてみる。一センチにくらべたらずっと短い。シャーペンをもったまま左手の親指と人差指で三ミリくらいの隙間をつくってみた。紙が数枚はさめそうなスペース。薄いベニヤ板くらいありそうな。
「……けっこうあるよ。三ミリ」
「そうだね」
わざわざ計らないでもわかっているらしい健二はうなずいて、またぺたぺたと右手で空間を撫でる。三ミリに触れる。なにが三ミリなのだろう。なにかの長さ。なにかの厚さ。たった一センチにも満たないそれを健二は気にしている。殴れば割れてしまう薄さ。少しずれればなくなってしまう長さ。
「あ」
また、健二が唐突に声をあげる。はっとしたように目を見張って、ちょっとうれしそうな感じ。
「二ミリになったかも」
「は?」
三ミリだったのが二ミリになった。一ミリ減った。簡単な数式。けれどそれはなんの数字。単位は長さ。あるいは厚み。
きっとこれは健二が好きな数学ではないのだろう。だって求めるべきは数字じゃなくて、数字と単位から求められるなにかだ。まるでクイズ。まるで謎々。
けっきょく佳主馬はシャーペンを放り出す。ぱた、とノートを転がって中央に落ち着く様子を見ないまま手を伸ばして三ミリから一ミリ減った二ミリに撫でる健二の手に自分のそれを合わせた。健二がびっくりして手がぴたりととまる。ぱしぱしとまばたきするのがなんだかおかしい。
「これで、ゼロ?」
佳主馬が伸ばした手は二ミリではなくて健二に触れたから。
「うん。ゼロ」
うなずいて、にっこりと健二が笑う。正解、とは言わなかった。
ゼロで触れた手のひらは温度が低くてでもやわらかくて。関節ひとつ分くらいずつ差がある指はいつになったらぴたりと合うのだろう。
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