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なつゆき。

夏と行き、夏が往き、夏に逝く

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鍋③

一二月二六日・昼


 動かしにくい左腕をかばいつつ、頭に巻かれた包帯がずれないように気をつけながら健二は検査着から私服に着替える。看護士の女性は親切にも手伝いますと申し出てくれたけれど、いくら仕事とはいえ年齢の近い異性に着替えを手伝われるのはやはり気恥かしくて断ってしまった。セクシャルな意味は一切なくても男として情けないというか、なにより自分でできないことでもなかったのでこうしてひとり奮闘している。経過は悪戦苦闘。日常でどれだけ非利き手も活用しているかは制限されてはじめてわかることだ。思えば計算用紙を支えているのは左手だ。なるほど、人間はなかなかどうしてバランスよくできている。
 着替えと言ってももともと泊まる予定などなかったからふつうに昨日着ていたそれだ。洗いまわしたせいですっかり色の落ちたジーンズに、格子模様のはいったボウカラーのシャツと襟首がざっくりとまるいセーターの二枚。靴はABCマートで適当に買った歩きやすい革のやつだ。なんだって昨日にかぎって前開きでない服を着ていたのだろうかと自身のチョイスに悪態をつく。
「あー、佐久間でも呼べばよかったな……」
 もちろん、着替えを手伝えなんて言って呼び出されてくれる親友さまではないけれど。
 ベッドの上で両足を伸ばした体勢でジーンズはなんとか穿くことができた。上半身のほうも、昨日一日着てくたくたになっていたおかげで着られることには着られたが普段の三倍の時間がかかってしまった。非効率的すぎる。怪我が完治するまでは前開きのシャツを着まわして凌ぐしかなさそうだ。服装に頓着してこなかったせいでワードローブはすかすかしている。無印良品かユニクロかジーンズメイトか、その辺りで買い足して帰ったほうがいいだろうか。靴下を履かせた両足をベッド下に揃えて置いたスリッパに乗せる。
 検査は午前中に終わって、担当してくれた医師からの説明も受けた。大げさに包帯を巻いてはいるけれど簡潔に言ってしまえただの打撲だ。頭のほうは打ちどころがよかったのかわるかったのか数針ほど縫ったが抜歯の必要はないそうだ。医療用ホッチキスでばちんばちん止めていて、針は自然と溶けてしまうとかなんとか。すでに処置が済んだことを健二がとやかく言っても仕方ないが、それでもホッチキスはなんだか微妙な感じ。頭に浮かぶのは工作用のあれ、麻酔がかかっていたとしてもすごく痛そうだ。
 ベッドから降りて妙に広い病室を見渡す。急患あつかいで搬入されて、それで急遽入院することになったので大部屋の空きがなく、仕方なしに空いていた個室に放りこまれた次第だ。ひとりで眠るのには慣れているし。反対に見知らぬ他人大勢と一晩過ごすほうが苦痛でしかない。修学旅行など気の知れたクラスメイトとならば平気だが年齢に統一性のない空間にいるのは耐えがたいものがある。顔を合わせてのコミュニケーションはOZよりもずっとむずかしい。
「んー……」
 無事な右手で寝癖頭をかきまわす。医師の話だと半月もしないうちに包帯は取れるらしい。経過を見るために明日か明後日にもう一度来院してほしいと言われ、頭のなかで算段を立てる。明日は事情聴取があって、佳主馬も午前中にOMCの何かがあると言っていたから明後日に来ればいいだろうか。
 ベッド脇に置かれていたデイパックから電源の落ちたケータイを取りあげる。病院内は原則としてケータイ禁止だ。しかし健二が事故に遭ったことは佐久間がちゃんと佳主馬に伝えているはずだから完全な音信不通にはなっていないはず。まだ意識がはっきりしているときに鍵を渡してくれるよう言ったからたぶん大丈夫だろう。
 のっぺりと暗い画面を見ていた健二はぱちんとケータイを閉じるとジーンズのポケットに押しこんだ。どうせ洗ってしまうとわかっていながらもベッドを整えて(どこか泊まったときのくせだ。当然ながら佐久間相手にこんなことしない)デイパックも右肩に背負うと部屋の引き戸に指先を引っかける。院内は適度にあたたかいのでコートは傷に障らないよう左腕で抱えもつ。病院はあまり好きではないから、帰っていいならもう早いところ帰りたい。
 つっかかりもなく横にスライドしたドアを一歩抜ける。薄青い室内から出た廊下は白い明るさで満ちていて、まぶしさに目を焼かれて健二は目を細めた。掲げた右手を盾に網膜にはいる光の量を調節する。猫のように極端ではないとしても健二の瞳孔も大きくなったり小さくなったりしているのだろう。自分ではなかなか見られないのが少し残念だ。昔は猫の瞳孔を見て時間を把握していたという話を誰かから聞いた覚えがある。健二の場合確認する前に引っ掻かれそうだ。そもそも猫はあまり、というか生き物は得意でないから向こうにもそれがわかられているのかもしれないが。
 カルテや器具の載ったカートを運ぶ看護士や車椅子に座るお年寄り、パジャマの子どもたちとすれちがいながら健二はエントランスのほうへと足を進める。健二に宛がわれた部屋は五階の(病院に四階や四のつく部屋は存在しない)端にある角部屋で、受付として機能しているナースステーションまでは少し距離がある。幅が広く取られた明るい廊下を、あえて端に寄って歩きながら健二は玄関前のロータリーを見下ろした。何台も停まっているタクシーにどうやって帰ろうか考える。時間を合わせればバスも来るし、駅まで歩ければ電車で帰ることもできる。救急料金は割高だが支払いはぜんぶ飛び出してきた男の子の保護者と車の運転手がもつということで決着したので健二の財布に打撃はないから自分を労わってもいいかなあと思わないでもないけれどもったいないような気もする。贅沢は敵、というか普段運動不足だから事故に遭ったようなものだ。少しは歩かないと。
 窓に映った自分自身の頭に巻かれた包帯を見、その部分のガラスを撫でながら健二は小さく息を吐いた。
「間抜けすぎるだろ……」
 そもそも飛び出してきた子どもを避けた車に撥ねられた時点でただの二次災害だ。咄嗟にかがみこんで左腕で頭をかばったからこの軽傷で済んだけれど真っ向から轢かれていたらどうなっていたか自分でもわからない。と言うか撥ねられた前後のことはドーパミン大放出すぎてあまり覚えていないのが本当のところだ。自分が事故に遭ったと認識したのも火が点いたように泣く子どものおかげだ。とりあえず危機的状況に陥ったときに風景がスローモーションに見えるというのは事実だった。ちなみに縫うような傷は撥ねられた拍子に背後にあったコンクリート塀の角にぶつけたからだ。これはなんと言うか単純に運がわるかった。
 それにしても子どもに怪我がなくてよかったと思う。車はT字路を曲がるところでさほどスピードを出していなかったとは言え小さな子どもが事故に遭ったらそれこそゴム毬のように跳ねただろう。車の重量と加速度、目算で図った子どもの体重から計算して得られる結果は直視したくないものだ。それならまだ健二のほうが生存率が高くて実際に軽傷で済んだ。これを僥幸と言わずしてなんとする。
「はあ……」
 振りかえれば振りかえるほど不慮の災難でしかなかった。誰がわるいのか、責任の追及はむずかしい。突きつめれば子どもの保護者の管理不行届になるのだろうがその辺の事情はたぶん明日にでもわかるだろう。事情もなにもほとんど覚えていないからちゃんと説明できるか不安だ。
 いっそレジュメでもつくっていこうかな。ゼミの発表のときですら面倒に思うことを自主的に思い浮かべながら健二は階段を下りる。バランスが取りにくくて手摺をつかんでゆっくりと下りていたら一階に着くまでに何度も声をかけられて少々恥ずかしい思いをした。病院はそういうところで、健二はそうされる立場というか格好をしているのだから仕方ないけれど妙に申し訳なくなるのでできればあまり注目してほしくない。
「連絡、しないと」
 ねじこんだケータイを思い浮かべながら健二はため息をつく。電源が落ちているから着信履歴が埋まることはないだろうがメールはちがう。OZのメールセンターに溜まっているのが一斉に送られてくるから待受画面で自身のアバターが封筒に埋もれるのが簡単に予想できた。もしも佐久間が佳主馬だけでなく夏希にもメールをまわしていたとすれば大惨事が想像に難くない。それは以前ぶっ倒れたときの連絡網で身に沁みている。
 佐久間は後まわしでいいとして、やはり佳主馬には連絡を入れておくべきだろう。なにか作業をしていたら邪魔したらわるいからメールのほうが適当か。どのように書いたら過不足なく伝わるだろうと頭のなかにメール作成画面を想像して、やはり空想のキーに親指を乗せたところで健二はぱたりと立ち止まった。
「あ」
 ばらばらと人が座っている背もたれのないソファのひとつに佳主馬がいた。フードにファーのついたオリーブ色のモッズコートの前を開けて足を組んでいるのがとても様になっていて一瞬誰なのかわからなかったくらい。それでも第一印象の名残はあるから全然わからないということもなくて、数年前にあったまるみが削げていまやすっかり男のそれだ。子どもとおとなの境目の顔。相変わらずきれいな顔をしているがもう女の子にまちがえられることもないだろう。はじめて納戸で見かけたとき性別の判断に自信がなかったなど口が裂けたって言えやしない。
 向こうも健二に気づいたらしく、佳主馬はヘッドフォンを首に引き下げた。片手にもっていたケータイを操作してコートにつっこんで立ちあがり、大股で距離をつめられる。
 トレッキングブーツの渋い赤が床を踏んで、そのつま先から上をたどるように視線をもちあげた健二はぱちくりと大きくまばたいた。
「なんでいるの?」
 反射的に健二はそう言った。脳なんて通していない、ほとんど脊髄にあった言葉をそのまま口にした。飾らないどころか歯に衣着せぬそれは身も蓋もない。
 途端、佳主馬の眉があからさまにひそめられ(当たり前だ)、ぎくりとして健二は半歩ほど足を引いた。
 空いた距離をすぐさま埋めて、佳主馬は腕を組んだ。
「心配させといてまず言うことがそれ?」
「うぐ」
「人には気をつけろって言っておきながら自分は事故ってるとかなに?」
「いやあのそれは」
「健二さん」
 強い声で呼ばれる。健二をまっすぐに見る目は真剣そのものだ。
「おれが、どんな気持ちだったかわかる?」
 黒ではない、黒に近い焦げ茶の目が揺れていた。水の気配はなくとも泣きそうに色が見えて胸が痛くなる。
 自分は当事者であるからなんでもないこととして認識してしまっていたけれど佳主馬にはもっとちがうことと捉えられていたのだろう。彼の思いを健二が想像するのはひどくむずかしい。起源も経過も異なるのだからそれは当然で、これから先もそれは変わらない。いくらおたがいを知り合おうとも究極的に見て自分以外はすべて他人なのだ。他人が自分になることはできない。相手をわからないもどかしさは、同時に自分のかたちをつくる境界だ。取り払えば個が失われる。同じにはなれない、だからこそ人は自分以外を知りたがるのだろう。
 水気のない佳主馬の泣き顔に健二は気持ちを正す。いまの態度はたしかに軽率だった。
「――――ごめんね。佳主馬くん」
 立ち止まったまま距離を埋めずに健二はそう言った。ボーダーライン、のつもりではないけれど。
 物言いたげな視線を向けてきていた佳主馬は黙ったままこくりとうなずき、何気ない仕草で「ん」手が差し出される。
「なに?」
 手のひらを上にして伸ばされたそれに健二は首をかしげた。勝手に大きさを測る目が得た情報はすぐさま脳に届いて数値化される。大きな手だ。もしかしたら健二より大きいかもしれないそれははじめて出会ったときの華奢なそれとはくらべものにもならない。
「えっと」
「荷物。貸して」
「えっ。そんな、わるいよ」
「いいから」
 強調するようにふたたび手を突き出される。顔を見てみれば、半分は前髪に隠れているもののむくれている感じにも取れてちょっとだけこまった。このまま断っていても堂々めぐりになりそうな感じがひしひしとする。
 健二たちがいるのは言わずとも昼間の病院の待合所で。通院している人や見舞客、入院患者に病院関係者と人の目はすごく多い。そんな衆人環視のなかで冗談みたいな容姿の男の子(に括るにはもうそろそろ無理がある)がドラマさながらの行動をしていて目立たないはずがない。イコールで結べば健二も同じくらい目立っているということ。それってつまりすごい恥ずかしい。
 頭の隅っこで広げた式をすぐさま証拠隠滅的にまるめてゴミ箱に捨て、肩に背負ったデイパックをうまい具合にして手にもつと佳主馬にあずける。昨日のままレポートパッドとペンケースしかはいっていない鞄は重さ以上に軽々ともちあげられ、「コート着たら?」言われてあわててベージュのハーフコートに袖を通す。去年までは紺色のダッフルコートだったのをこの冬ようやく新調したものでこれが見た目に反してなかなかにあたたかい。
 ボタンを二つ、三つだけ留めて、健二は佳主馬の顔を見る。いまはわずかばかり低いところにあるが数カ月もすれば抜かれてしまいそうだ。実はいまでもじわじわ伸びているのでもう少し逃げたい。逃げ切るのはまず無理なので高望みはしない。
「ありがとう、佳主馬くん」
「べつに」
 どうやら手ぶらで来たらしい佳主馬はデイパックを肩にかけるとぷいと顔を背けた。踵をくるり返してすたすた玄関のほうへ向かって行ってしまう。切り替えが早い。
痛み止めや化膿止めなどの薬剤はすでに受け取っていたし手続きも今朝のうちに済ませているからこのまま帰ってしまって全然かまわない。最後にナースステーションに挨拶をしていくべきだろうかと考えていたけれどどうせ明後日また来るのだし、必要ないかと判断して健二は佳主馬の背中を追いかけた。足に怪我はないから歩こうが走ろうが飛ぼうが跳ねようがなにも問題ないのだが一瞬だけこちらを振り向いた佳主馬の目がこわかったので早歩き程度だ。
 がこん、と佳主馬が開けた強化ガラスの自動ドアを抜ける。
「さむっ!」
 上から見たときは日が照っていてあたたかそうに見えたけれど実際は一二月の末らしい気温で健二は思わず首を亀のように引っこめる。昨日はあたたかかったし夜遅くまで出歩く予定でもなかったからマフラーを巻いてこなかった。
 無意味な唸りをあげながら自分で自分の腕を抱いてさすっていると、ぱっと見かなり薄着に見えるのに寒さなど感じていなさそうな佳主馬がいつの間にか傍に寄っていて健二のコートの裾を引いた。身長差が顕著だった数年前までよくされていた合図。最近はとんとなくなってしまったそれに健二は目を見張る。
「健二さん。ケーキ食べたい」
「ケーキ? ……あ、そっか。昨日クリスマスだったっけ」
 一瞬、ケーキなんて可愛らしいものがどこから出てきたのか考えてしまったけれど、カレンダーを見れば考えなくてもわかるものだった。記憶を掘り返せば約束したような気もする。たしかに甘党なのは佳主馬のほうだけれど(本人は格好わるいと思って隠しているつもりらしいが駄々漏れだ)、言い出したのは健二だ。
「……じゃあ、ケーキ買って帰ろうか」
 そう言ってコートをつかむ手をにぎってやれば、まるで子どものように佳主馬はうなずいて手もにぎり返される。大概健二の事故が原因なのだろうがめずらしいそれがなんだかとても微笑ましい。普段は年齢以上に振る舞っているから余計にそう思うのかもしれない。男ふたりで手をつないでいるのは少々見苦しいものがあるか少しくらい見逃してほしい。
 佳主馬の手を引くように歩きながら健二はちょっとだけ笑う。
 せっかくクリスマスに来るのだからと提案したことなのに健二のせいで台なしになってしまったから。そのお侘びではないけれど買うのは佳主馬の好きなやつにしようと思う。前に聞いたのが正しければいちごのショートケーキ。クリスマスは終わったからホールケーキだって買えるだろう。


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