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なつゆき。

夏と行き、夏が往き、夏に逝く

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ステイワールド

0、
 運命がカードを混ぜ、我われが勝負する。

***
 今年も夏が長く秋が短かったせいか、月が変わるのを待っていたように攻め入ってきた寒波に一矢中てられてどうやら風邪を引いたらしい。やたら長引いている咳のせいで呼吸もままならず、浅くくりかえしてはさらにむせる悪循環。いまはまだ熱は出ていないが洟まで出てきたら病院に行くことも考えなければならないだろう。季節の変わり目に風邪を引くのはもはや恒例行事だができるだけ病院は回避したい。どうにも子どものころから病院という白い空間は苦手だ。とくに昼間のあかるい白い待合室はなにかがあったわけでもないけれどトラウマに近いものがある。
 けんけんといやな咳を手の甲で押さえつけ、もう片手はラックに据えたキーボードに這わせて文字を打つのにはもうだいぶ慣れた。
夏の一件からこちら、OZからは正式な謝罪もあったが待遇等は以前と変わらず、しかしバイトの量はどんと増えた。末端の末端の末端の仕事と並行してOZのエンジニア(バイトではなくてちゃんとした社員の人だ)が組んだ防壁を解体する仕事を割り振られ、学校では保守点検、家では解体作業とそれなりにいそがしい毎日だ。けれど充実はしている。いそがしいのならば余計なことを考えないで済むし、解体作業は保守点検なんかよりずっと楽しい。なにかを創作するのは佐久間のほうが向いていて、だから健二はどちらかと言えばクラッカー。
 夏の大騒動をくりかえさないために日夜強化される防壁のクラッキングするのが仕事でそれがすごい楽しいとか。そう考えてみるとやっぱりヒーローは自分じゃない。世界を救ったのは陣内家の人びとで、健二はラブマシーンが自身をまもるためだったのかもしれない鍵のかかったドアを何度も何度も力づくでこじ開けただけだ。きっとラブマシーンにとってとてもとても不愉快でかなしいことだったろう。もしも健二がそんなことをされたなら、なんてIFは考えられない。考えたくもない。
 鍵盤をたたいてウィンドウに書き出すのは先ほどほどいたばかりの防壁についてだ。佐久間みたいに専門的なことを知っているわけではないから文面はどこがおもしろかった(ぱっと見ではわからない)とか、あそこはもっとこうしたほうが解き甲斐がある(さらさらと簡単には解けない)だとか、小学生の作文もいいところだ。はじめはこんな書き方でいいのかと本気で悩んだが防壁を構築しているエンジニアの代表者が言うには所詮同類だから気にするなとのこと。ハッカーとクリエイターが表裏一体というのは佐久間の例があるので知っているけれどやはり健二は防壁専門の壊し屋だ。だからこそ佐久間はOZのセキュリティを隠匿する二〇五六桁の暗号を教えなかった。数字がならんでいたなら解かずにはいられない健二の性癖をよくわかっている。結局は解いてしまったわけなので先に言っときゃよかったなと後日ぼやかれもした。正直に我ながらあきれるが数字があればそこに意味を見出したくなるのが数学に魅せられた者の宿命ということで勘弁してもらいたい。もちろん反省はしている。二、三枚ほど念書も書かされたことだし、今後は解いたものを不用意に返信したりはしません(解かないのが無理な相談であることはもはや自明)。
 いまの健二の視界はとても広い。普段使いはデスクトップ型のディスプレイだがこの仕事をするときだけはもっぱらHMDを利用している。目を覆う装置によって一メートル先に八〇インチの疑似的画面が浮かんで見え、防壁を構築する数字が整然とならんでいる様はただただ圧巻だ。覆いは可動式なので装着したまま手計算することもできるし、少し頭が締めつけられている感じはあるが特別重たいわけではないので重宝している。パソコンのディスプレイでもできないわけではないがやはりそこは防壁突破が課題なので。どうしても時間との勝負になってくるのでスクロールの手間をはぶきたいし、なによりひと目で全体を把握したい。たまに暗算が先行して計算がごっちゃになることもあるけれど、そういったところでHMDは利点が多い。難点はこれのままOZに長時間ログインしているとどうしても酔ってしまうこと。HMDでゲームをプレイする人の三半規管はいったいどうなっているのやら。そもそも健二はあまりゲームが得意ではない。落ちゲーや音ゲーなんかはそれなりにできるがそれ以外はからっきしできない。
 ぱちん。最後の署名まで弾ききって健二はメールに封をすると自身のアバターにそれをあずけた。まるで健二の邪魔をしないように画面の端でちょこんとしていたリスがいそいそとメールを受け取るのを全視点で見るのは変な感じだ。これがパソコンやケータイのディスプレイ上のことならば気にも留めなかっただろうがこうしてみるとまるで自分とアバターとが同じ空間にいるような、健二がOZにはいりこんでしまったような気さえしてくる。しかしあくまでもそれは感覚的なもので、健二はきちんとリアル(テストだと減点対象。ネットの対義語はリアルではない)にいる。
『メールを送信しますか――――YES/NO』
 効果音とともに出現したリスのふきだし。いちいち確認されるのがときどきわずらわしく感じられつつもタブキーでカーソルをぱたぱた動かしてYESに合わせ、エンターキーを押した。文字数がフィードバックされてやたら大きい封筒をリスが頭の上に掲げてもった。ぽこんとふきだしが飛び出る。
『メールを送信します』
「うん、いってらっしゃい」
 思わず声に出していた。アバターの操作手法として音声認識システムは現在開発中。だからそれは意味のない独り言だ。
アバターがメールを運ぶことなど当然であるにもかかわらずこのようなことを意識せずにつぶやいてしまうのもおそらく視点のせい。あくまでもアバターはOZを利用するツールに過ぎないのに、まるで自分とアバターとが別個のものとして存在しているように錯覚する。
 正方形のパネルが隙間なくならぶデザインの天井と床にはさまれているこの空間は上下以外の隔たりはない。むらさきがかった色調は防壁の厚さを示していて、だからここは健二が破った壁の向こう側だ。試行のための実験場はHMDに対応した最低限のテクスチャでできている。
 おもしろみのない無機質な空間のなかで、とぼけた顔をしたリスの背後にドアが出現する。郵便のマークが描かれた赤いそれはメールの送受信専用だ。通常のOとZを組み合わせた鍵穴状のトンネルでは味気ないと言うクリエイターが組んだパッチを当てているのでこう見える。もっとも、これはHMDでなければわからない追加だが。
 ドアノブをまわしてもう半分はドアの向こう側にひろがる真っ黒い空間にはいりこんでいたリスが思い出したように顔をのぞかせ、行ってきますとでも言いたげに片手を挙げた。
「へ」
 はじめて見るそれに健二は口を開けた。そうしているあいだにもリスは完全にドアをくぐり抜けて、ばたん! と閉まったそれは塩酸に溶けるマグネシウムのように溶けた。
「またなんか増えたのかな」
 OZは日々アップデートされている。全世界共通のネットワークだけあっていわゆる過疎時間というものがないため、サーバーに負荷がかからないほど細分化してアップロードされるため、適応には国単位でばらつきが出る。しかしアバターに関することはきちんと告知されるはずだ。ゲリラ的なものは基本行われない。それは夏にあった混乱騒ぎからより顕著になっていた。
「明日佐久間に訊くか」
 システム関係は親友の領域だ。あれでもチーフの立場だし、すでに実装されているのであれば答えてもらえないということはない。なにもHMDを使っているのは健二だけではないのだからほかにも気がついたユーザーはいるだろうし。たぶん朝にはスレッドもそれなりに育っている気がする。
「あ」
 はたと気がついてワールドクロックを呼び出す。ユニバーサルタイムと東経一三五度を通る子午線の時間がデジタル形式に表示された。時差は九時間プラス。
「げ、四時」
 夕飯と入浴を済ませて課題をはじめたのはたしか二三時過ぎくらいだったからかれこれ五時間は潜りっぱなしだ。セキュリティ関係のバイトは週に一回か二回だがひとつの防壁突破にかなりの時間を要し、その上防壁を添付したメールが届く時間帯も定まっていないため結果的に夜更かし(ときどき夜明かし)する羽目になる。ワールドワイドの短所はあきらかにここだ。クリエイターは本業がそれでもこちとら一介の高校生、明日――もう今日もふつうに学校だ。しかも一時間目から古典とはついていない。
「ねむ……」
 欠伸ではなく咳をけほりと抑えてつぶやく。二時なんて普段ならふつうに起きていられる時間だが正直に目が疲れた。
 アバターはまだ帰ってこないがそろそろ落ちようと思い立ち、ショートカットキーでログアウトのウィンドウを出現させると同時に電子音。ウィンドウがもう一枚重なった。
『ショートメールが届いています』
「こんな時間に?」
 思い当たる節がなく、健二は首をひねる。
 OZのショートメールはケー番ではなくてユーザー同士で交換されるアカウントを登録することで送受信することができる。たとえばチャットの誘いだとか、ログイン状況をたしかめることを意図して利用されるため、未読のショートメールは三〇分を経過した時点で自動的に削除される。ログアウト時には届かない仕様になっているのでアバターを介さないのはそのためだ。
「誰からだろ」
 ひとまずログアウトのウィンドウを遠のけて、ショートメールのウィンドウをクリックすれば床からにょっきりと赤い郵便ポストが生えてくる。かこん、という音がHMD付属のスピーカーから聞こえてポスト内に横たわる封筒をダブルクリック。
「……空メだ、これ」
 ヴン、と展開されたメール。サブジェクトにも本文にも何も記載されていないそれはどこをどう見ても〇バイトだ。
「ミスったのかな」
 健二のアカウントを登録しているユーザーはそう多くないけれどいないことはいない。参加しているコミュニティはいくつかあるし、オンラインでしかつながりのない親しい人もいる。それこそワールドワイドだ。
 ショートメールは個人情報がどうとかで差出人を明記する代わりにユーザーを示すサインが右隅に施される仕様になっている。たとえばまるっこいどんぐりの中央にKが白抜きされているのが健二のサイン。ひと目でわかると好評だが自分でデザインしたわけではないので素直によろこびづらいのが本音だ。
「あれ、このサインって」
 気になって署名欄に目を向ければなじみのあるそれで。しかし見慣れたものとは少し異なるサインに健二は首をかしげた。

***
 サクマ:なあ、キング寝ないでいいわけ? もう4時だぜ? そろそろ中学生にはきっついん
 じゃないの~? (04:17:33)
 カズマ:べつに平気 (04:19:25)
 サクマ:それにしちゃレス遅くね? (04:19:56)
 カズマ:そっちが早いだけだよ (04:20:41)
 サクマ:まったまた~ 健二には即レスのくせによく言う (04:21:07)
 カズマ:うるさい (04:21:39)
 サクマ:おおこわ (04:21:51)
 サクマ:そういや4時っつったらオカスレ立ってたのキング知ってる? (04:22:23)
 カズマ:知らない (04:22:56)
 カズマ:興味ないし (04:23:07)
 サクマ:どっかにまとめサイトあったけど(04:23:11)
 カズマ:ごめん 落ちる(04:23:17)
 Sys:カズマさんが退室しました
 サクマ:わり、見っかんねー (04:23:25)
 サクマ:乙~ (04:24:39)
 サクマ:ってもう落ちてるし! (04:24:53)
 サクマ:オレも寝るかな… (04:26:29)
 Sys:サクマさんが退室しました
 Sys:会話ログを削除しています
 Sys:このチャットルームは使用されていません
 Sys:このチャットルームは使用されていません
 Sys:このチャットルームは使用されていません
 Sys:このチャットルームは使用されていません
 Sys:このチャットルームは使用されていません
 Sys:このチャットルームは使用されていません
 …………………………
 …………………………………………
 ………………



1、
 人間は創造主がつくった傑作である。
 だが誰がそう言うのか――人間である。

***
 二学期がはじまってこちら、夏希にはあたらしく習慣になったことがある。それは物理部の部室でお昼ごはんを食べること。
 一学期までは教室や中庭のベンチで仲のいい女の子たちとおしゃべりをしながらお弁当をつついていたけれど夏休みも過ぎればみんな受験で殺気立っていて、英語の単語帳やら歴史の参考書やらを片手に黙々と食べる友人たちといっしょにいることがつらくなってしまった。
 夏希自身は三年間保ってきた成績や部活での実績のおかげで指定校推薦を受けられることになっている。都内でならMARCHは余裕、学部を選ばなければSKも狙えると担任と進路指導の先生は言うけれど実感はあまりない。そんなことよりも夏希にとって重要なのはあと数ヶ月しかない高校生活をより充実して過ごすことだ。
 友人たちにはわるいが勉強しながらごはんだなんて絶対に消化にわるいと思うし、受験戦争に参戦していない夏希がいたのでは逆にストレスだろう。久遠寺高校は都立ながらも進学校であるだけに教室内はどこかぎしぎしと軋んでいて。
 どう見たってからだによくない空気から逃げるためにも夏希は四時間目終了のチャイムが鳴れば即座にお弁当の包みをもって部室棟に向かう。もちろん途中で飲み物を買うのもわすれずに。今日はミルクティーな気分だったが自販機の前に来たらいちご牛乳のボタンを押していた。好きだからいいけど。
 スカートがめくれるのも気にせず二段飛ばしで階段を駆けあがり(だってお昼休みみじかいんだもん!)、オタク部やらPC部やらと書かれた上に物理部と紙が貼りつけられているドアの前でひざに手を突いて深呼吸。
 夏希と言えば問答無用で閉門突破の常習犯だがびっくりするからできればやめてほしいと言われたことがあったので本当にできるかぎりひかえている。一種のハイテンション状態のときにノックして応答を待つなんてできない。走り出したら急には止まれません。女の子はいつだって全力疾走だ。
 呼吸がある程度落ち着いたところでドアノブをつかんだ。手のひらでつつんだ金属のつめたさが気持ちいい。もっと寒くなったらこれだけでももうつらいのに人間のからだはなんとも現金にできている。見た目に反して手ごたえのないドアだから勢いあまって反対側に立っているだれかに――主に健二にぶつけてしまわないように用心して押し開ける。でもそっと開けたら開けたでなにかあったのかと心配されてしまうからそこのところはうまい具合に加減して。全然気にしてくれないのはいやだけれど機微に聡い男の子っていうのもちょっとめんどうくさい。でも健二だからゆるす。健二のやさしさはとても安心できる。
「お邪魔しまーす」
 こんにちは、夏希先輩。いらっしゃいませ。
へらりと笑って迎えてくれるのをいつもどおり期待していつものようにひと言告げながら部室にはいる。しかし、部室には佐久間ひとりがパソコンの前に座っているだけで。
「あれ?」
 五〇〇ミリリットルのパックとお弁当を抱き、左手でドアノブをつかんだまま夏希はせまい、がらくたが積んであるせいで余計にせまく感じる部室内をぐるりと見まわす。パソコンはぜんぶ動いているだが遣っているのは真ん中のやつだけで、なにより普段健二が座っているパイプ椅子にはたぶん佐久間のものであろうジャケットが無造作に置かれていた。
 健二のすがたがないことに落胆していると、ふと佐久間が耳にはめていたらしいイヤフォンを弾き抜いてこちらを振りかえった。
「あ、夏希先輩。ちわっす」
「佐久間くん。健二くんどうしたの? 購買?」
「ああ。健二なら休みですよ」
「休み?」
 予想していなかった返答に夏希はきょとんとする。
「健二くんお休みなの? なんでなんで?」
「クラスちがうんでおれもさっき知ったんですけど」
 夏希と同じく自販機で買ったのだろうコーヒー牛乳に直接口をつけながら、佐久間。
「なんでも風邪らしいって」
「風邪……」
 そう言えばと思い出す。二週間ほど前から気候が一気に冬らしくなり、それと時期を同じくして健二はひんぱんに咳きこむようになっていた。最初は本当に軽いものだったのに、日が経つに連れていまにも喉を切って血を吐くんじゃないかと心配になるくらいひどくなって。夏希は病院に行くことを何度も勧めたのに健二ときたらだいじょうぶですからの一点張りで(そのあいだも咳きこんでいたくせに)。
「こないだっからあいつ咳ばっかでしたし、熱でも出たんじゃないすかね」
「熱ってそんな……だいじょうぶなの? だって健二くん家って……」
 健二の家庭事情については誤解がないようにと改めてちゃんと説明してもらった。父親が単身赴任中なことには変わりなく、母親は少しマイナー仕事をしているそうだ。大抵ひとりとは言ったけれど滅多に顔を合わせないわけではないようで、健二によればいまは遅い反抗期中らしい。だからさみしいのにさみしいと言えなくて、親が家にいることがうれしいのに素直によろこべないでいるのだと。
 夏希の両親も共働きで帰宅がいちばん早いのは夏希だけれどちゃんと三人で夕飯をかこめることを知っているからさびしくない。そんなのどこに家も同じだ。けれど健二の場合はどこかちがう。慣れたことのように健二はそう言ったけれど。あたたかくもつめたくない、ただかわいているだけの家族なんて。
 コーヒー牛乳をかたむけていた佐久間はパックを机に置いて、肩をすくめた。
「微妙っすね。健二の話だと今日明日には母親が帰ってくるってことだったし、もしかしたら親から連絡行ったのかもしれないし」
「え?」
 ぱちぱちと夏希はまばたく。
「お母さん、帰ってきてるの?」
「らしいですよー。昨日さり気なくすっげー浮かれてたし」
 意外とも言えるそれだが健二が佐久間にうそを言う必要はないからおそらく真実なのだろう。胸に手を当ててほっと息をつく。
「なんだあ。もしひとりだったら午後サボろうかと思った」
「先輩らしいっすね。ま、もしあいつがひとりで寝こんでるっていうなら、おれとっくにいませんけど」
「なにそれ! 佐久間くんずるい!」
 笑いながら夏希はパイプ椅子のひとつに腰かけた。長机の上を占拠しているガラクタを適当に押しのけてスペースを確保し、いそいそとお弁当をひろげる。五時間目は苦手な日本史A、明治維新以降のことなんてさっぱりだ。暗記科目のくせにやたら体力を使うからしっかり食べておかないと最後までもたない(食べたら食べたで睡魔に勝つのがむずかしいのだが)。
 いただきます。きちんと手を合わせてから箸できれいに巻かれたたまご焼きをふたつに割る。夏希の家――というか陣内家のたまご焼きは砂糖がはいっているあまい出汁巻きたまごが基本で、以前おかずを分けてあげたときに健二がとてもおどろいていた。どうやらあまいおかずは食べ慣れていないせいか好かないようだ。たまごを口に入れながら思う。近いうちに陣内家の味で舌を染めてやらなくては。
 頬張ったたまごをもごもごしながらいちご牛乳のパックを開けてストローを差す。さすがに佐久間みたいに直に飲むなんてことはやらない。できないことはないけれど、食事中のお行儀については栄おばあちゃんにしっかりとたたきこまれている。
 いちご味のあまったるいそれをストローですすっていると、独特な電子音が突然聞こえた。なにかと思ってパソコンのほうに顔を向けてみれば佐久間が接続端子からイヤフォンをはずして手もとも見ないでキーボードをたたいていた。
「なになに? またOZ?」
「ただのショートメールです。ライヴチャットのお誘い」
「ライヴチャットってあの、テレビカメラ使ってやるやつ?」
「そうそう」
 佐久間はリズムカルに鍵盤を弾く。視力が二・〇ある夏希でもさすがになにを打っているかまではわからなくて、でもそれがURLらしいことはなんとなくわかった。
「でも、こんな時間に?」
 ふつうに疑問で首をかしげる。手首に巻いた時計を見なくてもお昼もお昼、真っ昼間だ。こんなにあかるいうちからチャットだなんて非常識というか不健康だ。なによりここは学校。機械類にうとい夏希でも知っているようにOZのセキュリティは夏以来より万全なものになって、当然ながら個人情報は完ぺきに伏せられているとしても少しくらいは時間帯を気にしてくれたっていいのに。
 チャットに誘われたのは自分でないのにぷんすかとしながら唐揚げをひと口に頬張る。これは冷凍食品。お弁当内の比率は半々か冷食が一品多いくらい。毎朝つくってもらっている立場なので文句は言えないけれど、やっぱり上田の家でこっそりつまむ唐揚げのおいしさには適わない。
 たん! ひと際大きな音に夏希はふたたび顔をあげる。
パソコンの画面にいくつも浮かんだウィンドウのひとつがノイズもなく像を結んだ。
「キング?」
「佳主馬?」
 佐久間と夏希の声がハモった。
 ウィンドウに映っているのは又従弟の佳主馬その人で、どこからアクセスしているのか前を開けた学ランの首にヘッドフォンを引っかけている。
 ひとまずお弁当箱と紙パックをもって佐久間の横に移動すれば、すぐさま椅子の上のジャケットをどかしてくれた。かんたんにお礼を言ってそのスペースにはいりこむ。
 ぎし、と回転椅子の背もたれに寄りかかりながら佐久間が足を組み直した。
「キング、昨夜ぶり」
『うん。こんにちは、佐久間さん。夏希姉も』
「なーんか元気ないみたいだけどどうした? 寝不足?」
『ちがう』
 ざっくりと一刀両断する声にいつもの覇気が感じられず、心のなかで首をかしげた。どこかおかしい。
 佐久間も同じことを思ったのかこちらを向いて顔を見合わせ、ひとつうなずく。バトンタッチ。又従弟のあつかいには佐久間よりも夏希のほうが断然慣れていて当たり前だ。
 ちゃんとカメラに自身がはいるようにいちご牛乳を片手に夏希は身を乗り出す。
「佳主馬、あんた学校は?」
『いま学校にいる』
「どういうこと?」
「図書館かどこかでラップトップのを借りてるんじゃないですか?」
「なに? ラップトップって」
「ええと、こう、いわゆるパソコン! てやつです。なあキング」

 (中略)

***
 頭の下がやけにもふもふというか、ふかふかし過ぎていて収まりがわるく、ごろりと寝がえりをうてば今度は顔が埋まった。やわらかい枕も考えものだ。蕎麦殻の枕はごつごつして首に合わないからやっぱり低反発枕がいちばんだ。ふとんよりもマットレスのほうが好き。夏に陣内家へ行ってはじめて枕が変わると眠れないタイプだと知ったが家のふとんがいいのは誰でもそうだろう。
「んー……んん?」
 もう一度身体の向きを変えて、違和感。うちの枕はこんなにもふもふしていただろうか。頬に触れている布の感じもなんかちがう。寝ぼけたまま撫でてみれば毛布が逆立つのに似た感触。
「くすぐったいですー」
 甲高い、どこか電子音が混ざったような子どもの声に一気に意識が収束する。右頬を下に横を向いたままそっとまぶたをもちあげれば水色っぽいあかるさがまぶしくて。
「うわあ!」
 自分を覗きこんでいる自分のアバターに健二は目を見ひらいて飛び起き、咄嗟にうしろに手をついてからだを支えながら尻でずって距離を開けた。
「な、なんで……」
 小さなとがった耳のついた楕円形の頭とアンバランスにスマートな胴、ひょろりとした手足。からだと同じくらいの大きさの尻尾からどんぐりがプリントされた白いTシャツに至るまで、それは見まがうことなく欠損データなどないくらい完全に健二のアバターだった。しかも等身大の。
 なんだこれ。なんだこれ!? 声にならない悲鳴がぐるぐるしている。寝起きの頭ではたいしたことなど考えられず、健二は腰を抜かしたような体勢で生唾を飲みこんだ。落ち着きなよ、といつかの幻聴が聞こえたけれどこれは無理だ。冷静になるのもちょっとむずかしい。
 だがしかし。混乱状態にある健二もなんのその、ずんぐりむっくりなぶさかわ系のリスはぽってりとした床に落ちていた尻尾をもちあげた。
「あ、起きました! カズマさん、USERが起きましたよ!」
 いまこいつなんて言った。
「おはようございます、USER!」
 ぴょこりと立ちあがった(足がみじかいからさして見た目の高さが変わらないのが涙を誘う)リスはまるでだれかが『/greeting』『/smile』を指示したように片手を挙げて笑う。操作したのは当然ながら健二ではない。
 思わず絶句してかたまっていると笑顔全開だったリスは次第に顔をくもらせ、四方八方の汗の粒を飛び散らせながらわたわたしはじめた。
「あれ? あれっ? 起きたときの挨拶は『おはようございます』ですよね? 合ってますよねっ? もしかしてUSERは日本人じゃないんですかっ?」
「いや、日本人だけど」
「ですよね! よかったあ、設定ミスじゃありませんでした! おはようございます、USER!」
「あ、うん。おはようございます……?」
「はい!」
 泣いていた赤ん坊が泣きやむよりも早くリスは表情をころりと変えた。アクションの切り替えがあまりに迅速かつ的確、そして豊か。ここまでアバターを情緒的に操作することは思うよりむずかしく、健二もこれほどスムーズには無理だ。キング・カズマのように無表情がデフォルトであるならば考えるまでもなく楽だが味気ないし、なによりこのリスはそういうキャラクターではない。一度ラヴェリングされた性格はそうそう変更できない。オンラインだけならまだしも、リアルの知り合いもいるとなればなおさらだ。
 ひとまず深呼吸を何度かくりかえすことで全力疾走からしばらく経った心臓を落ち着けて、腰抜け状態からなんとなく正座に直った。
「えっと、訊いてもいいかな?」
 しかし距離は一メートルほど開けたままで健二は首をかしげる。
「はい。なんでしょう?」
 リスもまた首をかたむけるが、重心の関係でいまにも転がっていきそうだ。それはそれでかわいいのかもしれないが自分のアバターかと思うと間抜けすぎて涙が出てくる。
「ここ、どこ?」
「OZイントラネット内エリアコード・9400100-repxeです」
「第四九実験ステージって昨夜の……でも、こんなんだったっけ。ここ」
「該当データがありません」
 質問に対し、リスははきはきと答える。ほぼゼロタイムで受け答えができるあたりさすがはアバターと言ったところだろうか。
 いくらすっとぼけた見た目でもちゃんと機能しているんだなあと偏見じみたことを考えながら健二はさらに問いかける。
「そっか。あ、時間は?」
「日本時間でいいですか?」
「うん」
「一〇時六分四〇秒です」
「一〇時……え? 一〇時っ?」

「ご、午前と午後どっち!?」
「二四時間制に再設定しています――二二時七分五四秒です」

 (中略)



2、
 しあわせを語りなさい。
 あなたの苦悩を除いたところで、
 世界はかなしみに満ちているのだから。

***
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