なつゆき。
夏と行き、夏が往き、夏に逝く
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2025.04.06 (Sun)
09:54
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鍋④
一二月二六日・夜
角が取れた正方形の白っぽい卓の中央に設置されたカセットコンロでぐらぐらと煮立つ土鍋を前に、佳主馬はしかめっ面になっていた。蓋がされているのでなかの状態はわからないけれどにおいからしてまず出汁に泳ぐ昆布は期待できないだろう。かと言って一時期流行ったコラーゲン鍋とやらでもなさそうで。ある意味で鍋の定番メニューだが同時にただの鬼門だった。
一度土鍋から目をはずすことを決め、佳主馬は床に片手を突いてぐるりと室内に見まわした。仕切りもないおかげでキッチンが一直線に見えた。反対側には壁にぴったり沿うかたちでパイプベッドが収まっており、佳主馬の位置から見て左手側にデスクトップパソコンのラックと座椅子がある。ちょうど長方形の1Kに短い廊下がくっついてその両側にトイレと風呂がそれぞれ併設されているちょっと洒落た一室は大学の先輩から譲り受けたものだそうだ。冷蔵庫もついでにもらったという話を前に聞いたことがある。さして広いわけでもない部屋は男三人でもう手狭に感じられた。
肩で嘆息し、背後のキッチンが見えるよう腰をひねる。怪我人だというのに庖丁をにぎる健二がかたむいて見えた。
「健二さん、炬燵なんていつ買ったの? 去年はなかったよね」
「ああ、うん。こないだちょっと安かったから。ニトリで」
「ニトリで」
改めて佳主馬はいま自分が半身を入れている暖房器具に目を戻した。フローリングにカーペットを敷いて、炬燵布団も毛布をはさんでいるせいか小さいながらも十分あたたかい。エアコンは元から備えつけられているようだがこちらのほうがずっと好みだ。一度はいったら出られない悪魔と定評のある炬燵だがそれだけあたたまるということ。床暖房だ全館空調だとさまざまに発達してきて結局からだだけでなく心もあたたまるのは炬燵や半纏といったそれだけであたたかいイメージに直結するものだ。夏場にはもうすっかりクーラーが定着してしまっているが、夏を上田のほうで過ごすのが毎年の恒例になっている佳主馬にとっては打ち水をしたり桶に氷水を張って足首を冷やしたり、夕立なんかのほうがずっと涼しい感じがする。人によってはくさいと表現するかもしれない、地面に撒いた水がかわいていくあのにおいが佳主馬は好きだった。
ひとり暮らしの部屋に、炬燵。考えてみればストーヴよりも贅沢かもしれないが。
「このカバーなんなの」
「あ、それ? いいでしょー」
野菜やらなにやらをざくざく切る手を止め、こちらを向いた健二がほわりと笑う。性質のわるいことに本気で言っていた。
なにも言えず、そしてなにも言わずにまた具材との格闘に戻るのを見届けて佳主馬はカバーをめくるように一枚つまんだ。健二は根からうれしそうにしているが本音的にどこがいいのかさっぱりわからない。部屋全体のコーディネイトはとても落ち着いているのにこのカバーのせいでなにかがおかしくなっていた。それでも調和の取れた雰囲気をぶち壊さずひっそりなじんでいる辺りがおそろしい。
理解しがたい趣味に首をかしげていると錠に差しこまれた鍵のまわる音がして、つづけてばたりと廊下と部屋を隔てるドアが開いた。
「あー、さみぃー」
声とともに流れこんできた冷気に、佳主馬は反射的に肩まで炬燵に深くはいりこむ。寒いのは苦手だ。しかし厚着でもっさりするのも嫌で昼間はヒートテックをインナーにがんばったけれど日が落ちてからの温度は耐えがたいものがある。電車は暑いし外は寒いし、それなのに防寒の程度は見る人見る人でちがうから少しも参考にならない。雑誌を読んでみても、あれはコーディネイトバランスを重視しているから利便性は欠片ほどしか考慮されておらず、結局はその土地で長く暮らして身につけるしかないのだ。生活の知恵に付け焼刃はほとんど通用しない。
その地元民である健二はやはり平気なようで、手の水気をタオルで拭いながらPコートを脱ぐ佐久間の傍に寄る。
「おかえり。あった?」
「あった、あった。ったく、鍋やるっつーなら白菜切らすなよな」
「だからわるかったってば。ほかになんか買った?」
「もやしと餃子と、……」
「レシートは?」
「わり。捨てちったわ」
「ん。じゃあそれこっちちょうだい。鍋見てよ」
「了解」
流れるような会話はそれだけで付き合いの長さを知らせる。たとえるならば阿吽の呼吸、夫婦のようなと言っても差し支えない感じ。けれど佳主馬の精神衛生に差し障りがあるのであまり言いたくない表現だ。
ふたりがセットになるといつだって佳主馬は置いてきぼりにされる。健二は無意識だろうけれど佐久間のほうか確実に気づいているであろうボーダーラインが引かれるのだ。はじめて会ってから何年経とうと何度話そうと健二のなかで佳主馬はまだお客さんなのだ。夏希の愚痴がよくわかる。面と向かってふたりきりでは緊張でなにもできないのに中継役の第三者がいたら置いてきぼりだなんてひどい話だ。
こめかみを卓の縁に当てて頬の片側を布団に埋めていると佐久間が菜箸を片手に具材が大量に盛られた笊を運んできた。
「お。キング起きてるじゃん。おはー」
「……おかえりなさい」
起きたのはだいぶ前なのでとりあえず帰宅を出迎えてみたら眼鏡の奥で不思議そうにまばたかれ首をひねられる。
「なんだよ、機嫌わるいの?」
「べつに」
「ふうん。原因はこいつか」
炬燵に潜りこみ、空いた手で佐久間が布団カバーをたたいた。
青いキルトの布は防災頭巾のカバーや体操着入れなどとして小学生時代によくなじんだものだ。たとえば日曜日の朝にやっている戦隊物だったりアニメのキャラクターがプリントされていたりとある意味子ども時代の流行を明確に描き出すものだが、正直これはない。
「まさかのキング・カズマ柄だもんなー」
けらけらと心底愉快そうに笑われ、べたりと炬燵に懐いたまま佳主馬は眼鏡の辺りをにらみつけた。同時に、視界のはじっこにアニメ調に描かれた相棒が映りこんできてまたもや微妙な気分になる。たしかにストラップやTシャツなど一部のグッズ展開を許可した覚えはあるけれどいくらなんでも布にまでなっているとは思わなかった。
目を逸らしていたから気づかなかったけれど青い生地の上で飛んだり跳ねたり挑発している自分のアバターは三タイプ。三年前の対ラブマシーン戦からこちらモデリングをいじっていないのでチャンピオンベルトは奪還したもののキング・カズマは金髪でラフなスタイルのままだ。初期のデザインはメディアにも多く残っているから当然として、最後にラブマシーンをたたいたときのぼろぼろになった姿まで拾われていたのにはびっくりする。
「それつくったの佐久間だよ」
一度目を向けてみればどんなポーズがあるのか気になるもので、カバーをもちあげてまじまじ眺めていたらそんな声が後頭部に投げられた。言葉がぶつかった衝撃で佳主馬は顔をあげる。
「佐久間さんが?」
「おう」
手際よく具材を出汁にざらざら分けて落としながら佐久間はなんてことないようにうなずく。
「裁縫できたんだ」
「まあな。健二ほど縫い目きれいじゃないけど」
ふたたび土鍋に蓋をして焜炉の火を調節。先ほどの半分くらいにまで積載量の減った笊を卓に置いて、佳主馬が訊ねるより早く佐久間は顎をしゃくって健二を示してみせた。
「こいつに雑巾縫わすと既製品かってくらい縫い目がっちり揃ってんだぜ? 実際に縫うところ見るまで買ってきたやつだと思ってたし」
「マジ?」
「マジで。縫うのすっげえ遅いけどな」
「ああ。なんとなくわかる」
健二のことだ、縫い目も縫い幅も等間隔になるようにこだわる気がする。ミシンならまだしも手縫いでそれは時間がかかって当然だ。だがしかし、いくら丁寧に縫っても所詮は雑巾、最終地点はただのボロ雑巾でしかないから無駄な努力とも言える。当の人がやり遂げて満足できるならそれでいいのだろうけれど。
「その話やめて」
把手のついたトレイをもった健二がうんざりした口調で会話に加わった。声の感じからしてもいままでに何度も言われてきたであろうことがわかる。
根本的に健二は合理的な生き方を選んでいる節があるから原則として器用だ。料理のレシピがあればその通りにつくれるし、とりあえずでも理論がわかれば実践できるタイプだ。よほど突飛でないかぎり応用も利く。包み隠さずに言って不器用ではない佳主馬からすればある意味ファンタジーだ。六月ごろにあった体育祭のときにはじめて自分でゼッケンに名札を縫いつけたけれどあのときほど絆創膏の世話になったこともない。母親はおろか最近ませてきた妹にまであきれられた。だから普段から手伝いなさいって言ってるでしょう、という母の小言が耳に痛い。現時点で勉強は不得意、家事は苦手、特技はOMCだなんて笑い話にもならない。場合によっては塾の春期講習に通う羽目になるだろう、それもすべて成績次第だ。指定校推薦であれ一般入試であれ、東京の大学を目指すのであればそろそろ本腰を入れねばならない。健二だって高二の秋から勉強をはじめて東大に受かったのだから佳主馬もがんばらなければ。
トレイに乗せて運んできた食器をそれぞれの前に配し、畳んだ膝を炬燵のなかに入れてグラスに烏龍茶を注ぎながら健二は対面に目配せする。
「佐久間。そろそろ」
「はいよ」
やはり佳主馬には侵入りこめない慣れでうなずき、佐久間は濡れた布巾をミトン代わりに土鍋の蓋をもちあげた。へばりついた水滴が落ちないようにすぐさま引っくり返して卓上ではなくカーペットに直接置いた。
湯気が晴れてようやく鍋のなかが確認できた瞬間、見なければよかったと思った。
白菜や長葱、ニラなどの葉物にはじまり、きのこ、豆腐、肉、白身魚に牡蠣と豊富な具材が皆総じて赤い出汁に浸っている。マグマのようにぼこぼこ沸騰した部分に見えたり見えなかったりしているのは考えるまでもなく輪っかに切られた唐辛子で。
「しっかしー、クリスマスにキムチチゲの予定だったとはね、こいつは聖夜もびっくりだ」
「う……いちいち掘り返すのやめろよ」
「嫌なこった。しばらくこのネタは手放せなそうにないなあ、健二くん?」
「最低だよ、佐久間……」
じと目でにらむ健二もなんのその、佐久間はかんらからと笑うと早速に鍋に箸をつけた。ため息を漏らしながら健二もまた箸を伸ばす。ひとり残された佳主馬も箸をにぎって比較的赤く染まっていない野菜を取り皿に分けた。肉もきちんと取って、豆腐は食べたかったけれど完全に浸かってしまっているからアウトだ。
三人それぞれの取り皿が埋まったところで誰からともなく手を合わせ、いただきますと声を揃える。
「ちなみに締めはうどんです」
さらりと言われたそれに思わず肩が跳ねた。白米をチェイサーにしようと思っていただけに予想外。
目ざとくも佳主馬の箸が止まったことに気がついた健二が口のなかにあるものを飲みこんでから首をかしげた。
「もしかして佳主馬くん、うどん嫌だった?」
「嫌じゃないけど、もしかして土鍋も最近買ったのとか言わないよね」
「あ、うん。これは買ってないよ」
「学祭の数学ビンゴで当たったんだよなあ」
平然とキムチチゲをつつく成人ふたりが口々に言う。
「数学ビンゴ?」
取り分けたそを口に入れては烏龍茶で飲み下し、佳主馬は妙な単語を出した佐久間を見た。
「そ。誰が考えたんだっていう無茶ぶり全開のゲーム」
「あんなの全然無茶じゃないよ」
牡蠣を取り皿に移しながら、健二。佐久間に向けていたあきれた目を目蓋一枚で早変わりさせ、「あのね」佳主馬に向きなおる。
「ひとりひとりに数字が無作為に配されてね、司会者がランダムに選んだ数字五つを使って自分の数字にするんだ。四則計算はもちろん、公式はなに使ってもいいっていう無茶苦茶なルールだけど、まあモッド・サーティン・スピードの発展型みたいなものだし」
「……へえ」
つっこんだら長くなると直感的に感じ、ついつい返事がおざなりになる。視線をそっと動かして左側を見てみれば話を振った当人は黙々と鍋の容量を減らしては足していく。いま白菜に隠すように入れたのは先ほど言っていた餃子か。
健二のほうも微妙な反応しか返ってこないことを予想していたのか話はそこで打ち切られた。
皿にあった牡蠣を口に入れ、もごもごさせながら次の具を盛る。慣れた手つきだ。いままでひとり暮らしも同然の生活をしていたはずなのにこれということは鍋の経験値は相当高そうだ(鍋の経験値ってなんだ?)。自分の試行に突っ込みを入れつつ佳主馬もまた冷めた肉を噛んだ。熱が抜けているせいでそれほどではないが口に広がる赤い味を烏龍茶で緩和させる。先ほどからそれのくり返し。固形物よりも水分で腹がふくれる勢いだ。しかし水なしに耐えられる味でもなくて。
「健二さんお茶取って」
「ん? ああ、はい。どうぞ」
「ありがとう」
三分の一ほど中身が減ったペットボトルを斜めにする。昼間買ってきた飲み物は烏龍茶と緑茶、それにパックのグレープフウr-ツジュースと健全そのものだ。アルコール類は必要ないのかと訊いたら未成年がいるのに買わないよとあっさり返された。
大きな声では言えないが陣内家では未成年もアルコールを嗜む機会はあって、その筆頭が正月だ。中学にあがればグラスの半分くらいは飲ませられるようになって、しかしこれは慣習のようなものだ。室町時代から続く旧い家だからお屠蘇を飲んで邪気を払うのはもう為来りになっている。ほかの旧家ではどうか知らないけれど陣内家はこうなっている。健二が年末年始の宴会に来たことはないから知らないのも当然と言うか、健二が上田に来たのは三年前の夏と、去年と今年の春夏だけだ。佳主馬はそれが不満でならない。三六五日中一〇〇日は休みの大学生なんだからもっと遊びにきたっていいのに。
具材も粗方なくなったところでうどんが投入され、赤い出汁がふたたび煮立つ。はじめよりも煮詰まっているから相応に味も尖っているはずだ。野菜などの水分でまるくなった気がしないのは途中で市販の出汁を注ぎ足したからだ。
「佳主馬くんもしかしてそこ取りにくい?」
「え」
うどんに手をつけようかやめておこうか考えながら箸休め(をするほど食べてもいないけれど)にしていたら急にそう言われ、口に流していた烏龍茶がごぽりと気泡をつくって弾けた。
うどんの白い渦から佐久間の入れた餃子を物の見事に掘り当てて自分のものにしながら健二がにこりと笑う。
「さっきから器からっぽだから。よそってあげようか?」
はい、と伸ばされた手に頭のなかがぐるんと一回転した。
別に隠しているつもりはないけれど辛いものはそう得意ではない、と言うか猫舌なのだ。カレーやマスタードなどの辛さは平気だが唐辛子やわさびのようなものはてんで駄目で舌が受け付けない。味よりも先に熱が痛みとして感覚されてしまってその後の味は少しもわからなくなる。ときどきテレビで激辛好きの芸能人が最早赤以外の何物でもないものを平気で食べているのを見るけれど舌が壊れているとしか思えない。元から辛いものに辛いもの足すとか味覚マゾにもほどがあるだろう。
ここのキムチチゲは色味は派手だが冷めたものならば耐えられなくもなかった。食べられないことはないけれど進んで食べたいとも思えず、しかしこちらの反応をにこにこ待っている健二の好意を断ることもむずかしい。なにより健二は佳主馬をただの甘党としか認識していないだろうから余計に断りにくくて(だって甘党で辛いの駄目とかそんな格好わるすぎる)。
「…………お願いします」
片言になりながら取り皿を手渡す。結局天秤がかたむいたのは味覚の限界ではなく健二の笑顔とプライドのほうにだった。半ば予想できていた事態だけにあきれることもできない。
「はーい。あ、お豆腐あったけど入れて平気? 舞茸とか駄目?」
有り体を言えばキムチチゲ自体が駄目です。なんて言えるはずもなく佳主馬は首を左右に振るう。どれだけ盛られるか想像もつかない。もし健二が参考にしているのが上田での盛り具合だとしたら口内の死亡は確定的に明らかだ。夕飯ってこれほど決死の覚悟で臨むものだっただろうか。
すると、いままで箸を置いて積みあげられた雑誌の一番上をぱらぱらめくっていた佐久間が前触れもなく腰をあげた。
「佐久間?」
怪訝な健二をもスルー。
首だけひねって後ろを見やればちょうど冷蔵庫がぱたりと閉められたところですぐさま取って返してきた。手になにかもっている。佐久間は先ほどと同じように炬燵布団をあぐらにかけると手のなかのそれを未使用の器にぶつけた。
「たまご?」
上体を伸びあがらせて準鍋奉行(だってふたりで鍋奉行しているようなものだ)の手元を覗きこんで健二がつぶやく。
「そろそろ辛いの飽きたし、ここらで味変えね?」
「お、……ぼくはいいけど、佳主馬くんは?」
「平気」
むしろ願ったり叶ったりだ。健二が佳主馬を気にして一人称を意図的に直したことが気になりつつも佐久間の目を見て軽く頭を下げればたまごを溶きほぐす箸をちょいちょいと動かされた。たぶん、気にするなというサインだろう。そう解釈することにして佳主馬はグラスをまわしてほとんどが溶けてしまっている氷を鳴らす。たまごがあるなら勝ったも同然だ。カレーにうずらのたまご落として食べるのと同じ感じにマイルドになって食べやすくなるのはわかり切っている。
とろとろ流しこまれる卵液を見ながら佳主馬は炬燵のなかでぐっとガッツポーズをつくった。
そうこうしているうちに土鍋のなかは汁気もなくからっぽになった。うどん四玉など食べざかりの男子高校生と成人男子ふたりにかかれば分けても一人前にもならない。
片づけは後まわしして三者三様に腹を休めつつ炬燵のなかで専有スペースの取り合いをしていると(電熱線式ではないから火傷の心配はいらない)、なぜかひとり勝ち組になっていた佐久間が直方体の部屋をぐるりと見まわした。
「つーか、相変わらず物が少ないんだか多いんだかわっかんない部屋だよなあ、ここも」
肘を突いて頭を支え、カーペットに横になって雑誌をめくっているのに勝手知ったる他人の家だと全身が物語っている。
「そんな言い方しなくたっていいだろ」
対して、家主の反撃。
「これでもこないだ片づけしたんだから」
「散らばってた本積みあげて脇に寄せるだけは片づけって言わないっつーの。キングよく泊まれたな」
「泊まってない」
話の矛先が向けられ、卓に突っ伏していた佳主馬は顔を腕に埋めたまま早口に言った。とくに言うことでもないので言わなかったけれど隠しておくことでもない。
え、とふたりの声が重なって聞こえてきたのに応じて顔をあげる。
「病院行く前に荷物置きにきただけで昨日はビジネスホテルに泊まったんだ。だから部屋のものには手つけてない」
これは本当のことだ。昨夜鍵を受け取ったはいいけれど住人不在の家にあがりこむ気にはなれず、佐久間と駅で別れた後はそのまま駅前のビジネスホテルにOZ経由で部屋を取った。未成年である佳主馬がそのまま行ったところで補導されるか断られるかだがオンラインで予約してしまえば後はコード照会で済んでしまう。インターネットの覆面性を半ばどころでなく利用しているがどのユーザーもができるわけではなく、決済もウェブマネーでおこなわれるため原則としては二〇歳以上が対象であり未成年は保護者のサインが必要となる。これは犯罪の発生を未然に防ぐためだ。けれども例外はやはり存在するもので、超法規的措置を受けているのはあくまでもキング・カズマのユーザーだ。池沢佳主馬個人ではない。だから昨夜の荒業はOMCと契約を交わしているキング・カズマのユーザーとしての特権を濫用したとも言えて、けれどそこはわざわざ言うべきことでもない。舞台裏や制作秘話は訊かれてはじめて答えるものであって能動的に語るべきではないのだ。手間がかかったのはたしかだけれど、それでも健二がいない家にいるのは嫌だったから。
「そうだったんだ。ごめんね、佳主馬くん」
言葉をどう捉えたのか、すまなそうに首を引っこめた健二のほうを向き、少しだけ頭を浮かせて佳主馬は首を振った。
「べつに健二さんがわるいんじゃないし。それで鍵なんだけど」
「あ、それ佐久間のだから佐久間に返してもらえる?」
「は」
予想外の返答に一瞬だけ硬直する。待って、いま誰のだって言ったよこの人。
しかし佳主馬の動揺などいざ知らず、健二は傍らに転がっていたペットボトルの首をつかみあげた。
「お茶なくなっちゃったし、新しいの取ってくる」
「ついでにケーキ切ってこいよ。口直ししようぜ」
「オッケー」
佐久間の提案にも軽く応じ、さらについでとばかりに鍋のなかに取り皿や割り箸も放りこんでいっしょくたに運んでいってしまう。卓の上には役目を終えたカセットコンロがぽつねんと、わずかに飛び散った出汁が点々としているのが名残惜しく感じられる。だがそこを惜しんでいる場合でもなくて佳主馬は寝転がっている佐久間に合わせて腹這いになり、内緒話をするように顔を寄せた。別段健二に聞かれてこまるようなことでもないけれど、そこはそれ、なんとなくだ。
「どういうこと?」
「聞いたまんま。その鍵はおれ用ってこと」
「納得いかないんだけど」
それ以前に意味がわからない。なぜ健二の家の鍵で佐久間専用が存在するのか。
「まあ落ち着けって。健二のやつ、まだ二年のくせに大学に泊まることも少なくないからさ、おれは着替えとか届けるパシリなの。いちいち鍵借りにいくのも面倒だからつくっちまった」
馬鹿みたいな話だろ。空いている手をひらひらさせながら佐久間は器用にもそのままの体勢で肩をすくめてみせた。
それは佐久間にとってすれば馬鹿話なのかもしれない。たかが合鍵、されど合鍵。とっくに二〇歳を迎えて世間的に法的におとなとして認められた人たちには、いままでもこれからも泊めたり泊まったりしていた関係の人たちにはわからないのかもしれないが合鍵を渡す/渡されているというのはものすごく特別なことのように思える。うらやましくないと言ったらそれは確実に嘘だ。うらやましくないわけがない。しかしいつも会えるわけではない佳主馬が合鍵をもっていても仕方がなくて。でもいらないわけでもなくて。
「佐久間ぁ、コンロもってきてー」
キッチンのほうから届いた健二の声が不意におもしろくなく聞こえて、佳主馬は佐久間よりもワンテンポ早く炬燵を抜け出してカセットコンロをもちあげた。
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2011.09.02 (Fri)
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