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なつゆき。

夏と行き、夏が往き、夏に逝く

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鍋②

一二月二五日・夜


 メールで送られてきたURLから飛んだ病院へのアクセス方法――正しくは地図の画像をイルミネーションがきらびやかな駅前で暇そうに缶コーヒーをあおっていたドライバーに突きつけ、アクセルをほとんどべた踏み状態で有料道路やら裏道やらを駆使してもらったタクシーが病院のロータリーにすべりこんだのはとっぷり暮れた一九時近くだった。連絡が来てもう一時間以上になる。ドライバーに額の大きい紙幣を数枚渡し釣り銭も受け取らないまま着替えとノートパソコンをつめこんだスポーツバッグをかついで佳主馬はタクシーを飛び降りた。東京のタクシーはこわいなんて噂があった気もするがノリのいいドライバーでよかった(うっかり恋人が事故に遭ったと勘ちがいされたけれど否定はしない。しない)。
 二重になっているガラス張りの自動ドアをくぐり、ひとり掛けのソファをつないだような長椅子がずらりとならぶ待合所の片隅に佐久間の姿を見つけ、そちらに向けた足が自然と早くなる。たいした運動でも距離でもないのに心臓はばくばく打ち鳴らされて静まる気配もない。全身が打楽器になったみたいだ。
ソファではなく自販機横の壁に寄りかかって腕を組んでいた佐久間もまた佳主馬に気づいたらしく、ひらりと右手で挙げられた。
「健二さんはっ!?」
 開口一番、意識せずに佳主馬はそう噛みついていた。病院であるという認識は辛うじてあったから音量は然程のものではなかったがそれでもほとんどさけんだようなものだ。まるで詰問。別に佐久間がわるいわけではない。それはちゃんとわかっている。頭では理解している、しかし耳の奥からひびく音は治まらない。減速しない鼓動は悪夢の呼び水にでもなるつもりなのだろうか。
「まあまあ。まずは落ち着けって」
 まるで聞き分けのない子どもをなだめるようなその態度にかっと血がのぼり、佳主馬は歯を強く噛んで一気に詰め寄った。
「これが落ち着いていられる――っ」
「あー、……まあキングには酷だわな。うん」
 おそらくは自分を納得させるためだろう、佐久間は数回うなずき、「とりあえず座ろうぜ」言いながら自動ドアから外に出た。
 思わずなにかを言いかけ、しかし佳主馬は口をつぐむとカラフルなボタンのついたステッチ入りのPコートを追いかける。
この季節には骨身が凍みる屋外に設けられているのは喫煙スペースだ。冷えたベンチに腰かけてポケットを漁る佐久間からしてなにを探しているかなど考えなくてもわかること。
「それで。どうなの?」
 座らず、挑戦的にも喫煙者の真正面に立って見下ろしながら佳主馬は言葉を変えて単調に訊ねる。
「ん? ああ、健二ね。あいつなら無事。超生きてる」
「けがは?」
「頭と腕打ったくらいでほかはなんとも。さすがに今日は検査で入院だとさ」
「そう……」
 無傷であるかはさて置き、いのちに別状がないとわかって全身の力がどっと抜ける。佳主馬の肩から円筒型のバッグがどさりとすべり落ちた。へたりこまなかったのはもう意地だ。本人を前にしていたらどうかはわからないけれど。
「なになに? 安心した?」
「当たり前……」
 ぼそりとつぶやき、けらけら笑って首を小さくかしげさせた佐久間をにらみつける。
「なんでそんな落ち着いてんの」
「そりゃね。三〇分も前に医者から聞かされれば嫌でも落ち着くって」
 肩をすくめ、それから、吸っていい? と目で問うてきたのに佳主馬はうなずいて返す。
「どーも」
 言いながら佐久間はありふれたハードケースから一本抜き取ると口にくわえ、左手を風除けに安っぽいライターで先端に火を点けた。ひと息に喫みこみ、まるで呼吸のように煙が吐き出されて夜風に伸びる。
 どこかで嗅いだにおいだと、こちらは呼気を白く凍らせながら佳主馬は無意識に眉根を寄せた。
 自分のまわりにいる喫煙者の数は両手で足りて、近しい親族にかぎるのであれば万助と直美のふたりだけだ。父は煙草も酒も炭酸も駄目だし、侘助などいかにもヘビィスモーカーに見えるが煙草はやらないと豪語している。喫んでいるのは意外にも理一のほうだ。極々たまに縁側で口慰みにこっそりくわえているのを理香に文字通り煙たがられているのを観たことがあって、しかしそれはあの(大きな声ではとても言えないが)意味不明な伯父がよほど苛立っているときだ。主な被害者は運悪くも帰宅中の侘助なので矛先が佳主馬に向いたことはないけれど可能なかぎり遭遇したくない。触らぬ神になんとやら、だ。
 佐久間がフィルターに口をつけるたびにちらちら燃えるタバコの葉を見て佳主馬は自分自身を強制的に落ち着ける。だいじょうぶ。煙が沁みた目を閉じ、だいじょうぶだからと口のなかでくり返し唱える。
 実際にこの目で見ないうちからまるきり安心だなんてとても無理だしできそうにないけれど間が置かれたのは結果論的に正しかった。血がのぼっているのか下がっているのか、興奮しているのか硬直しているのかも自他からわからないような状態と勢いのまま病室に飛びこんでいたらどうなっていただろう。反証もできないそれほどまでにいろんなものが欠けていた。同時に、健二の存在が自分にとってどれだけ大きく、重要なものであるかが眼前に突きつけられ思い知らされた。
依存ではなく、寄生でもない。小磯健二という人はもうすっかり佳主馬の日常を構成する一部になっていただけのこと。それが突然壊れてしまうのは世界の崩落にも等しい。
心臓の上をぎゅうとつかむ。
 赤い暗さのなかに佳主馬が見たのは目蓋の裏に焼きついたあの夏のこと。
 栄が亡くなったときに一族を奮い立たせてくれたのは健二だった。彼は魔法使いだったからみんなに魔法をかけてくれた。敵討ちという名目でかなしみを使命感にすり替えていただけの、とっておきの魔法。
 挿げ替えられた気持ちは背後からついてきて襲いかかって来たけれど、それすら佳主馬は健二に助けられた。健二がいてくれたから佳主馬は思いきり曾祖母の死を真正面から見て、かなしんで、泣くことができた。くやしいけれど夏希や侘助も同じ、みんなが健二に救われたようなものだ。
 それなのに。
「事故に遭ったの、なんで?」
 自身を完全に落ち着けることに失敗した佳主馬は吐き出される煙越しにそう訊ねた。詰問するみたいなきつい感じの口。加害者が佐久間でない情報はきちんと記銘されている。けれど問わずにはいられなかった。ただ、事故に遭いました、それだけの情報で納得できるほど佳主馬はおとなでもなければ結果だけを飲みこめる人間ではない。
 何事においても過程が重要だと教えてくれたのも健二だった。数学において重要視されるのは結果よりも過程だと、どのような道筋でもって到達したかが肝心だと何度もくり返していた。もっとも、彼の言うことは彼独自の法則で導き出された結果ばかりで、しかし過程を大事にしていることは佳主馬もちゃんと知っている。世界は結果論でまわっているようなものだから注目されることは少なく、それでもいついかなる場合や事象においても道程は存在する。
 そういうのとは少しちがうのかもしれないが経緯は知っていたかった。交通事故は人のいのちを簡単にうばっていく人災だ。今回は最悪よりも手前だけれど、もし最悪の場合だったなら健二がいなくなってしまっていたかもしれない。想像するだけで背中がぞっと寒くなる。考えるのもおそろしい。
「ひと言で言うなら、貧乏くじってやつ?」
「はあ?」
 道化た佐久間の物言いに、佳主馬は不快感を隠さず眉をひそめた。
「なにそれ」
 佐久間が健二を小馬鹿にしたように言うのはなにもいまにはじまったことではなくて、しかし佳主馬にはそれがいまでも気に入らないでいる。双方ともに認める親友同士らしいが単純に気に入らない。面と向かって言ったことはないし、向こうがどう思っているかはわからないけれど佐久間は夏希とならぶライバルだ。付き合いの長さで言えば又従姉よりも年季がはいっていてちょっとやそっとでは崩せない信頼関係ができあがっている。もちろん負けるつもりはしない。
 ゆっくりと煙を吐き出し、備えつけの灰皿に灰を落としながら佐久間はふたたび煙草をくわえた。赤く点る先端がもごもごと上下する。
「なんでも、ボールおっかけて飛び出してきた子どもを避けようとした車に当てられたみたいでさ。あ、慰謝料やら医療費なんかは子どもの親と運転手が折半ってことでまとまりかけてるらしいぜ?」
「警察は?」
「細かい事情聴取なんかは後日やるって。それにしてもさ、なんかベタすぎちゃって笑えないよなー」
 短くなった煙草を灰皿に押しつけながらけたけた笑い、佐久間が言った。
 ベタもなにも事故が笑い事だろうか。いくら医者から直接説明を受けたとはいえ、現実を現実と見ていないような発言に佳主馬は違和感を覚えた。なにかがおかしい。どこかでさわったことのあるようなそれに佳主馬は心のなかで首をかしげ、しばらくもしないうちにひとつ思い当たる。
 これは本当に予測でしかないがおそらく佐久間も健二寄りの環境で育っているのだろう。家庭がさみしいとかそういうことは知らないけれど、たとえば陣内家みたいに横のつながりは希薄な気がする。だから近しい人がいなくなる、もう会えないという感覚が確立していないのかもしれない。平均寿命が延び、長寿大国とも言われる日本の高齢社会は生死の観念をゆっくりと殺いでいる。両腕を伸ばした範囲外のことはすべて他人事で、手遅れになってからでないとなにもわからない。
 いなくなるはずがないという幻想を無意識に信じきっていた人にもう会えない現実を佳主馬はもう四年も前に経験した。今回は大丈夫だった。けれど次がないとは言いきれない。それはとてもこわいこと。健二だけではない、池沢佳主馬の世界を織りなす人たちが誰かひとりでもいなくなってしまうのは恐怖以外の何物でもなかった。
 ひどい話、あの夏の日に健二がああしてOZのことに目を向けられたのはある意味で他人事だったからだろう。曾祖母と最後に話をしたのは健二で、少なからずとも影響を受けてはいたもののあのときはまだ縁の細い人同士だった。直美の発言を思い出してもわかるように、健二が陣内の人間として認められたのは佳主馬が負けてもあきらめなかったからだ。
 喪失の傷はいつか癒える。治らずともうすくなる。結果から見れば歯車がうまく組み合わさった予定調和じみた展開。でも後悔がないわけではなくて。
 東京で育つとみんなこうなってしまうのだろうか。見当ちがいにもほどがあるそんな疑問すら胸に浮かんできた。
「おーい?」
 目の前でひらひらと手を振られ、佳主馬はぱちりとまたたいた。はずれていた意識と焦点がふたたび佐久間に合わさる。
「どうした? 妙にぼんやりしてたけど」
「なんでもない」
 不自然でない間を置いてひと言を返し、やさしさの欠片もない攻撃的な白煙に少しだけ咳きこんだ。眉をひそめ、鼻と口に手の甲を当てる。
「こっち流さないでほしいんだけど」
「わるいわるい。と、キングって煙草駄目な感じ?」
「べつに平気だけど。においつくと学校がうるさいから」
「あー、なるほどね」
 佐久間は納得したような声をあげ、煙草を灰皿の縁にとんとんぶつけて灰を落とした。納得はしても火は消さないらしい。
 さいあく、と佳主馬は声には出さない悪態をついた。
 正直に言って佳主馬と佐久間の相性はあまりよくない。同調するでもなく反発するでもなく、たとえるならば同じ体育館でバスケットボールとバレーボールをしているようなものだ。系統としては同じ、フィールドも似たものがあるが内容は絶対的に異なる。ニュアンスとしてはこんな感じ。それにしてもわかりにくい表現だ。
 あまり人に言えたことではないが高校にはいってはじめて佳主馬は国語的センスが壊滅的であることが発覚した。高校受験はしたけれど直前までの模試の判定は浮き沈みがひどくひどくて、滑り止めの私立高校に提出する自己PRなんて何度書きなおしたかわからない。いままで受け身の文章しか書いていなかったせいだ。わざわざこちらから自分を売らなくても買ってくれる企業等々は余るほどあった。弊害として要約やら小論文やらがとても苦手だ。古典とか機械語を読むよりむずかしい気がする。何語だ、あれ。
「そうだよなあ。キングももう高校生だもんなあ」
「……なに。その言い方」
「いやいや。時間が経つのは早いなってこと」
 指のあいだに煙草をはさみ、両手を顔の高さにあげて降参を示しながら佐久間が言った。
 今年の三月に中学校を卒業し、四月から佳主馬は世間一般の当たり前に則って高校生になった。進学先は自宅から自転車で通える距離にある尾張学区の公立校、制服は中学校と変わらず学ランだ。入学していたばかりのときは中三で着ていたものの校章のはいったボタンと襟章を付け替えただけで済んだけれど結局夏になる前に新調する羽目になって、ふたまわりもサイズを大きくしたからそれなりにぶかぶかとしている。もちろんすぐに合うようになるだろう、なってもらわなくてはこまる。佳主馬の身長は現在一六〇センチに達したところだ。健二はおろか夏希よりもまだ低い。もっと本気出せ成長期。
 言い方は気に入らなくても、たしかに佐久間の言うとおりだった。時間の経過は早く、そして遅い。佳主馬は早くおとなになりたいのに地球は二四時間で一回しかまわらなくて一年間は三六五日、四年に一回は三六六日だ。その上時間は佳主馬だけに流れているわけではないからいつまでたっても追いつけやしない。
 風向きが微妙に変わったのか、立ちのぼる煙がほわりと建物の方向へ流れていく。その先をなんとなく目で追いかけた。
「……煙草吸って嫌がられない?」
「窓なかったりする部屋だと嫌がるけど」
 主語のない問いかけに平然とした答えを返される。わざわざ言うまでもない誰かのこと。そもそも、佐久間とふたりで会話するにあたって話題にのぼるのは健二とOZのこと以外にそうそうない。はっきり言ってしまえばそれ以外に共有できる話題がないのだ。年齢差の壁は伊達ではない。佳主馬が健二と会話ができているのはおたがいちょっとずつ妥協しているからだ(それに加えて健二は主に数学にかかわる話がほとんどだからソースを探すのは楽だ。ただし理解も共感もむずかしい)。
「ま、健二だって吸わないわけじゃないしな」
 最後にそう付け足して佐久間は煙草をもみ消した。
 まるで、自分のほうが健二のことをわかっています、みたいな発言にむっとする。
 話には何度も聞いているけれど健二の喫煙シーンを佳主馬が実際に見たことはない。見せてくれないどころか佳主馬と会うときは絶対に煙草をもってこないほど徹底している。ヘビィスモーカーではないようだからそれでも平気らしいけれどこちらとしてはなんかおもしろくない。佐久間はもちろんのこと、たぶん夏希も見たことあるのだろう。十中八九佳主馬を気遣ってのことなのだろうけれど余計なお世話にも思えてしまう。健康のことを考えたらやめてくれるのが一番でも、自分の知らない健二の顔があるかと思うとやっぱりずるい気がする。思考がめえちゃくちゃ女子のそれでさすがに気持ちわるいというか、自分であきれてしまうけれどそれも仕方がないと開きなおる。だってそれが本音だ。
 本当は。本当のことを言えば佳主馬は東京の高校に行きたかった。その思いは地元の高校に進学したいまも胸の奥底でくすぶっている。
 しかし、中二の終わりのころ、進路調査のアンケートにその旨を書いて提出したら担任と進路指導担当から呼び出しを喰らい、中三の夏休みにあった三者面談(これのせいで上田に行くのが一週間も遅れた)では母ではなく担任に盛大に嘆かれ、家では勘ちがいした妹に泣かれ、果てはどういうラインを使ったのか健二にまでOZ越しに説得された。
 味方が誰もいないような状況になったのはもちろん理由があって。あまりにいっぱいいっぱいすぎてあり得ない痴態をさらしたので努めて思い出さない(むしろ消し去りたい)けれど、わかったのは高校生はちっともおとなじゃないということだ。中学生とくらべればできることは多くても、それでもやはり未成年。いくら背伸びをしたところで法的にも世間的にも性能的にもすべての場面で責任が負えるわけではない。もしも佳主馬が原因で何かが起きたとして、それで責任を問われるのはいっしょにいる年上の誰かだ。
 ふと、佳主馬は自分の手のひらを見下ろした。あのころよりずっと大きくなった手だ。まだ健二には届かないけれど背が伸びて、体格もがっちりとした男のものでもう女にまちがえられることはない。声だって低くなった。みんな変わった。からだばかりがおとなになって、あの夏にいた自分を置いていくような気がして。けれどぜんぶ自分で。
あの夏から三年と数ヶ月。見た目も声も変わってしまったけれど、それでも佳主馬は数年経ったいまでも変わらずにたったひとりのことを好きでいる。想っているのとはちょっとちがう。佳主馬がくすぶらせている気持ちは、きっとそんなやさしいものではないだろうから。
「さーて、一服したし」
 ベンチから立ちあがり、ぱんぱんと服をたたいた手をPコートのポケットにつっこんだ佐久間は軽く首をかたむけてみせた。
「そろそろ健二のところ行く?」
「え」
 思いがけないそれに佳主馬は目をまるくさせた。佐久間の顔を凝視する。
 事故に遭って、入院で。どうしてだか絶対に会えないと思っていただけにふつうにおどろいた。それに、健二に会うということが念頭になかったことよりも、当たり前に会えないと思っていたことに佳主馬はぎくりとする。もう会えないことはとてもこわいのに、無意識はそれを当然のものとしていた。
 親指を内側に入れてつくった拳を強くにぎりしめる。ひどい自己嫌悪。会えないなら会いにいかないつもりだったというのか池沢佳主馬。それはもう負けを宣言しているようなものだ。彼への、そして自分に対する裏切りだ。最初から負けを認めている証拠。なんだそれ。冗談じゃない!
 佳主馬はきっと前を見据えた。自分の弱さというか逃げに気づけたのは思いがけない幸運だった。省みればほかにも逃げていた場面はたくさんあるだろう、しかしもう確認は成った。
 にぎった拳をゆっくり解きながら三年前に決めたことを思い出す。健二であった年の冬、半分の月がとてもきれいに見えたあの夜に佳主馬はちゃんと決めたのだ。
「だーいじょうぶだって!」
 黙っているこちらをどう捉えたのか、佐久間はおどけた様子で佳主馬の肩をたたいた。これが数年も前なら確実に頭を撫でられている。過去三年で佐久間とオフラインで会ったことは両手の指の数よりも多いくらいで去年はほとんど会えていない。だからこそ先ほどのセリフにつながるわけだ。彼のなかで佳主馬は中学生で止まっている。ギャップがあるのだ。いくらライヴチャットで顔は見ていようとも実際に会うのとは全然ちがうから、だから佳主馬もなるべくパソコン越しでなく会おうとして機会を設けたのだ。そうでないといつまで経っても佳主馬は子どもとして認識されたままだ。
「面会謝絶なわけじゃないし。あ、でもたぶん寝てるかもな。どうする?」
 健二よりも少しばかり背の高い佐久間に見下ろされ、いつかかならず抜いてやると思いながら佳主馬は首を左右に振るう。
「……いい。やめとく」
 意外そうに眼を見張られたが自分自身でも意外だと思った。健二にはたしかに会いたいけれど、同じくらい会いたくない。まだ色濃く残っている自己嫌悪も一因のひとつ。なにより眠っている健二に会うことが嫌だった。寝顔や寝姿は上田でよく見ている、しかし病院という空間がいけない。病院は単純に考えてもあまり好きになれない場所だ。曾祖母が往生したのは上田の家で、曾祖父もそうだったと聞いている。佳主馬は親族を病院で看取った経験はないがそれでも病院で眠るという状況は嫌なイメージしか浮かんでこない。
 直接会ってたしかめなければ安心なんてとてもできない。けれど眠っている健二に会ったところで安心なんてできるはずがない。
 眠りは死にとても近いものだと教えてくれたのはもういない曾祖母だ。だからちゃんと起こしてあげなくちゃいけない。あなたがいるのはこちらなんだよ、と手を引いてあげなければいけない。そう聞いたのはずっと小さいころで、(思い出してみるとおどろくことに)ひとり離れた一室で寝起きしていた侘助を起こしにいった際だ。三歳になるかならないかのことなんておぼろげにしか残っていないが曾祖母の言葉は強烈なまでにしっかりと残っている。
 その曾祖母はもういない。もう会えない。
 けれども健二はまだいる。まだ、会える。
 思いつめていたわけではないけれど、佳主馬と同じように黙ってしまっていた佐久間は唐突に自分の髪をがしゃがしゃとかき混ぜた。
「んー、キングが行かないんじゃおれも帰ろうかな」
 佐久間はそれでかまわないらしい。やはり佳主馬とは情報の受け取り方も処理の仕方も異なっている。逆に一晩中そばにいると宣言されてもそれこそ微妙だが。むしろいらっとするが。
 我ながら幼稚で女々しい発想だと思うそれを展開させてひとりで腹を立てているあいだに佐久間は喫煙セットのはいったポケットとは反対のそこにつっこんだままの手を引き抜いた。ちゃり、と金属同士がぶつかる音がたてたそれはまっすぐ佳主馬の眼前に吊るされた。
「健二ん家の鍵。キングに会ったら渡してくれって頼まれてた」
「健二さんが?」
「そ。もしもホテルとか手配してなかったら泊まるところないだろうからって。キング場所知ってるんだろ?」
 とくに躊躇う理由もなく素直にうなずく。OMC関連で東京に来ることになったときに宿泊場所はだいたい健二の家だから場所はもう覚えている。
 佳主馬がキング・カズマのユーザーで、うさぎ型の相棒がOMCでどれほどの位置に置かれているかの理解度は夏希よりも健二のほうが高い。それならば両親や夏希にOMCのことで東京へ行くというよりも健二のところへ遊びにいくと言ったほうが説得は簡単だ。もちろんそれは言い訳で、けれど本音はOMCのほうが大義名分だ。話し合いなんてライヴチャットで十分こなせる世の中だ、それなのにわざわざ新幹線に乗って東京に向かうのは健二に会いたいからにほかならない。
 手のひらを皿にして差し出せばそこに鍵が落とされる。夜の空気に冷やされた金属は肌に張りつきそうな温度していて痛いような感覚がある。反射的ににぎりこめば体温と金属のそれが混ざり合った。
 ぐにゃりとした生ぬるい温度にあたたまる鍵をとりあえずパーカーの前ポケットに入れ、わずかに頭を下げる。
「……どうも」
「いやいや、おれただのメッセンジャーだし。どうせなら明日迎えにきてやってよ」
「迎えって、明日退院?」
「検査入院だしな。なにもなければ明日で帰れると思うぜ?」
「そう」
 入院日数の目安は知らない。佐久間の口ぶりからして交通事故などのときは骨折や意識不明の重態でもないかぎり一泊二日程度のようだ。入院なんて身近なところでは母が妹を産むためにしたくらいにしか身に覚えがないから妙に焦ってしまった。
「佐久間さんは?」
「おれは明日もゼミがあるんですー。ったく、世間はクリスマスだっていうのにな。独り者はさびしいぜ」
 あーあ、と肩をすくめる佐久間に佳主馬はひとつまばたいた。クリスマス。そう言えばすっかりすっぽ抜けていたけれど今日はクリスマスだった。気がついてみれば病院の敷地内にある木々もおざなりにイルミネーションが施してあって、受付のところにもツリーが置かれていたような気がする。一二月のありふれた光景だからすっかりスルーしていたけれど今日はその本番だ。イエス・キリストが生まれた聖なる日。仏教徒や神道の多いはずの日本では本来関係ないはずの、冬のお祭り。
 ケーキとか買ってお祝いしようかと言っていたのを思い出した。
 周到なことにタクシーを呼んでいるらしい佐久間から視線をはずして佳主馬は病院の四角い建物を見あげ、高いところの窓を数える。正確な場所はわからないけれどこのあたりかなと適当な当たりをつけて、「また明日」小さくつぶやいた。
 髪を散らしていった風に、苦い草のにおいが香った気がした。


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