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01:身長/年齢差
02:5年後
03:思春期
04:指が触れる
05:視線を合わせる
06:一方通行
07:「好きだよ」
08:伝えたいのに、
09:あなたと見た夢
10:太陽と月
11:手段は言葉に限らない
12:距離
13:もう戻れない、戻らない、戻る気はない
14:狂おしいほど愛しい
15:満面の笑み
16:あなたにだけ
17:だって[貴方/君]がそんな風だから
18:抱きしめて、離さないで
19:メールが届いた数だけたまる想い
20:家族
ぴくしぶ の「夏の宿題20問」よりお借りしました
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瞬間的に唇がぬくもる。
温度もやわらかさもちがうのにただ触れているだけで心のなか、からだの芯にある容れ物になにかが注がれて満たされる感じ。とろりとしたものがすべり落ちるような。そのうちきっと触れているだけでは足りなくなるのがわかる夢心地。
唇から感じる他人の温度がこれほど気持ちいいとは思わなかった。
健二はまるで口ぐせのように自分は数学しかできないと口にする。もちろんそれは彼にとって事実なのだろう、しかし数学しかできないからなにももっていないのとは訳がちがう。
OZ公式の数学に関するコミュニティで不特定多数の観衆にかこまれながら楽しそうにカードゲームに興じるケンジをカズマが見ている。また、相棒を通して佳主馬もその様子を見ていた。
一見すればトランプゲームのひとつであるスピード。瞬時の判断力と反射神経が必要なスポーツにも似たそれだがカードの出し方が無茶苦茶だ。規則性がわからない。しかしゲームは(あり得ない速さで)つづけられているからそこにはたしかなルールがあるのだろう。参加者と、そしてそれを観て楽しめる者にしかわからない、佳主馬には理解できないルール。
ナツキの花札にも負けないような速さでケンジはカードを重ねていく。それは対戦相手も同じことで開示された手札を中央に飛ばしては山札を繰る。そしてカードがすべてオープンになるより先にケンジの山札がなくった。
歓声は、ない。
OZの魔法があるのだから言葉が通じないわけはない。それはカズマに向けられる声援からもわかる。なのにいまカードでもってたたかっていた彼らは言葉を交わさず、観衆は賛美も罵詈もあたえない。おかしな空間だ。それが当たり前という空気が、そしてそれに馴染んでいる健二が佳主馬には信じられなかった。理解できない。
第三者の介在を闖入を観覧をゆるさない闘技に興じる健二はまるで別人だ。佳主馬には見えないちがうものを見て笑っている。佳主馬のものを見て楽しめるくせに、佳主馬はなんの感想を抱くこともできない。だって、わからないから。
カードがふたたび配されて、沈黙に落ちた決闘がまたはじまる。
ケンジはちらりともカズマを見ないでカードを繰るだけで。
ひどく、不公平だった。
気がつけば慣れた間合いで、ふたり。夕涼みにならんで縁側に座って夜空を見あげるのはもう日課になっていた。特別に約束をしたわけではないけれど、ほとんど最後のほうぬるまった湯をもらった佳主馬がぺたぺたと板張りの床を踏んでいけばまるで待ってでもいたように健二がそこにいて、ごつごつした足首を外に投げ出している。今夜もそう。
健二と星を見るのはそれなりにおもしろかった。いわゆる星座にまつわる話は教科書のコラム程度にしか知らないくせに、どの星はどれくらい遠くにあって、あの星は赤いから寿命がどれくらいで、目で見える流れ星の速度はどれくらいだとか。ロマンの欠片もない話。女の子じゃない佳主馬でさえうんざりするような(もしかしたら女子よりも堪え性がないかもしれない)内容だけれど健二が数字を表面に出さないで話をしてくれるのは失礼だが新鮮で。たぶん夏希は知らないんだろうなと思ったら独り占めしたくなった(だってこの人が数学を好きってことすら上田に来るときに知ったくらいだし、たぶん知らないはず)。
ひんやりと肌にしみる縁側の温度に両の手のひらを浸してからだを支えながら佳主馬は空を見あげた。紺色の画用紙に細かい砂をばらまいたような星空はいったんうすいカーテンの向こうに隠れて、今や東からやってきた月の独壇場だ。たったひとりのための舞台。これから満ちるのか欠けるのか、西へ向かう月の横顔は不恰好だ。
「ねえ、佳主馬くん」
しゃらしゃらと音をたてずに月の明かりが降る。それがとてもうるさくて耳をふさぎたくなった。栄おばあちゃんが大事にしていた朝顔は夜に花を開かないからしぼんでいなだれたままだ。それでも月はしゃらしゃらと明かりを降らせる。咲いても咲かなくても、どちらでもいいみたいに。なんて、うるさい。
「ここのところ毎晩見てるけど、やっぱりちょっとずつちがってくるもんだね」
楽しそうに話す健二にも同じように月の明かりが降る。照らされた頬は青白くて、しおれた朝顔の色に似ていた。
(うるさい)
だから、佳主馬は声には出さないでつぶやいた。耳をふさぐ。うるさい、うるさい。
「おとといくらいはもっとこっちからのぼってきてたと思ったけど」
(うるさい)
「あれだね、昔は月の観察なんて一時間だってできなかったのに」
(うるさい)
「今ならずっと夜でもいいくらい」
(うるさい)
「ねえ、佳主馬くん」
(うるさい)
しゃらしゃらと月の明かりが降る。聞こえても、聞こえないでもいいみたいに。べつに届かなくたってかまわないみたいに音もたてずに降り積もる。
「今夜は月がとても綺麗だね」
パジャマの袖からのびる手が気づけば慣れた間合いを突き破って、月に濡れた佳主馬の頬にひやりと触れた。
「お兄さん、ちょっとしゃがんで」
声をかけられたと思った突然服の端を勢いよく引かれ、健二は返事をする前にすとんとその場にひざを折った。一瞬そのまま転ぶんじゃないかと危ぶんだけれど「うわ」なんとかバランスが取れて上体を安定させる。踵が浮いているせいで微妙にぷるぷるしているのが情けない。
「目、つぶって」
いきなり屈ませられた理由を訊くより早く次の指示がきたので素直に目を閉じる。なんとなくどきどきしてしまうのは前に似たようないたずらを佐久間にやられたことがあるからで。でも佳主馬はまさか輸入物の激辛キャンディを口につっこんでくるようなことはしないだろう。されたらいろんな意味で泣く。
す、と目もとに触れた体温が横すべりする。感覚としては一瞬。なのに敏感になってしまうのはそうやって触れられるのに慣れていないからで、でも不快ではなかった。
「もういいよ」
なんとなく意識して心もちゆっくりとまぶたをもちあげる。文字通り目の前に不機嫌そうな佳主馬の顔。しゃがんでいるので見あげるこの位置関係が新鮮だ。立ってならんだときとは逆転する高低差。
「睫毛。ついてたから」
「そっか」
よいしょ、と健二は手をひざに置いて立ちあがる。ふくらはぎがだいぶ限界を迎えていた。本格的に運動不足だ。ここのいるとそれがよくわかる。明日あたり畑に連れてってやると万助さんには言われたけれどだいじょうぶだろうか。もはや筋肉痛は確定だ。
「ありがとう。佳主馬くん」
正しい高低差になって改めてお礼を言う。
自然、健二を見あげるかたちになった佳主馬はむっとしたように「べつに」拗ねてそっぽを向いた。
「佳主馬くんって何年生まれ?」
「平成九年」
「ってことは一九九七年だから、そっか。じゃあ佳主馬くんは知らないんだね」
「なにを?」
「阪神・淡路大震災」
夏休みの友という名の敵をひとつひとつ破壊していく。ゲームは好きじゃない。好きじゃないが、ゲームみたいなノリにでもならなければやっていられない。それでも上田の家にいるかぎりわからないなんてことはなくて。国語は夏希、英語は侘助。社会なら理一がくわしいし、理科も万作と太助がいる。家庭科の課題には強い味方が大勢いて、読書感想文だって納戸にある本を適当にななめ読みすればそれで良し。だからいまは数学の時間。むずかしいことはないけれど、同類項だ移項だ代入だと手続きがひたすらに面倒で。けれど佳主馬がおとなしく課題に従事しているのはこの退屈な時間に付き合ってくれているのが健二だという事実のせいだ。
カリカリと細いシャー芯がノートの上をこすれている。お世辞にもていねいとは言えない字。読みづらくはないけれど読みやすくもない。左辺にxのついた項を集めて右辺を整えて符号を直してをくりかえす。事務的作業。演算機器を使えば一瞬で終わる工程なのに。答えがひとつしかないのは潔白としていて清々しいけれどスリリングさはない。楽しいかと訊かれたらためらわずに首を振る。たとえ健二の前だとしても。長時間ペンをにぎっているのはあまり得意じゃないから。
ふと、座卓の反対側で納戸にあった教育心理学とかいう栄の蔵書を黙々と読んでいたはずの健二が突然手のひらを前に突き出した。撫でるような仕草は壁でもあるみたいなパントマイム。
「……なに、突然」
数式を書く手をとめて、佳主馬はノートから顔をあげる。シャーペンは離さない。なんでもなければつづけるつもりだからだ。作業にはもう飽きていたけれどあと三ページは終わらせなければ納戸にもどれない。なんだって宿題の進行に親のサインがいるんだろう。横暴だ。
ぺたぺたとなにもない空間に触れていた健二は答えないまま「うーん」首をひねる。
「三ミリ、かな」
「三ミリ?」
「うん」
「なにが」
「えっと、なんだろう。なんて言ったらいいのかな」
自分でもよくわかっていない感じで健二はへらりと笑った。
三ミリってどんなものだろうか。ペンケースから定規を出して、ノートの空いた部分に三ミリの線を引いてみる。一センチにくらべたらずっと短い。シャーペンをもったまま左手の親指と人差指で三ミリくらいの隙間をつくってみた。紙が数枚はさめそうなスペース。薄いベニヤ板くらいありそうな。
「……けっこうあるよ。三ミリ」
「そうだね」
わざわざ計らないでもわかっているらしい健二はうなずいて、またぺたぺたと右手で空間を撫でる。三ミリに触れる。なにが三ミリなのだろう。なにかの長さ。なにかの厚さ。たった一センチにも満たないそれを健二は気にしている。殴れば割れてしまう薄さ。少しずれればなくなってしまう長さ。
「あ」
また、健二が唐突に声をあげる。はっとしたように目を見張って、ちょっとうれしそうな感じ。
「二ミリになったかも」
「は?」
三ミリだったのが二ミリになった。一ミリ減った。簡単な数式。けれどそれはなんの数字。単位は長さ。あるいは厚み。
きっとこれは健二が好きな数学ではないのだろう。だって求めるべきは数字じゃなくて、数字と単位から求められるなにかだ。まるでクイズ。まるで謎々。
けっきょく佳主馬はシャーペンを放り出す。ぱた、とノートを転がって中央に落ち着く様子を見ないまま手を伸ばして三ミリから一ミリ減った二ミリに撫でる健二の手に自分のそれを合わせた。健二がびっくりして手がぴたりととまる。ぱしぱしとまばたきするのがなんだかおかしい。
「これで、ゼロ?」
佳主馬が伸ばした手は二ミリではなくて健二に触れたから。
「うん。ゼロ」
うなずいて、にっこりと健二が笑う。正解、とは言わなかった。
ゼロで触れた手のひらは温度が低くてでもやわらかくて。関節ひとつ分くらいずつ差がある指はいつになったらぴたりと合うのだろう。
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- なつゆき。