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なつゆき。

夏と行き、夏が往き、夏に逝く

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なつゆき。のこと

とりあえずSWだけで。
長かったり短かったり文字遊び。
意味よりも雰囲気をみて。
そこだけで完結するような過ぎ去るだけの簡潔なこと。




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夏の宿題 20問

01:身長年齢差
02:5年後
03:思春期
04:指が触れる
05:視線を合わせる
06:一方通行
07:「好きだよ」
08:伝えたいのに、
09:あなたと見た夢
10:太陽と月
11:手段は言葉に限らない
12:距離
13:もう戻れない、戻らない、戻る気はない
14:狂おしいほど愛しい
15:満面の笑み
16:あなたにだけ
17:だって[貴方/君]がそんな風だから
18:抱きしめて、離さないで
19:メールが届いた数だけたまる想い
20:家族


ぴくしぶ の「夏の宿題20問」よりお借りしました

数直線上のある恋

 ステージから見て左上、二階の調光室につづく細い通路の手すりにもたれかかりながら健二はあくびを噛み殺す。どうせ気づいているのはとなりに経っている佐久間くらいなものだが一応マナー的に。壇上にいる夏希からはもちろん見えていないはずだけれど後でつつかれるのは遠慮しておきたい。罰ゲームとして手をつないで校内を練り歩くのはもう勘弁してください。
 ずらりとならんだパイプ椅子。そこに座るさまざまな制服の男女は都内の中学生とその保護者だ。
 一一月でだいたいのシーズンを終える学校説明会だが今年度の久遠寺高校は一二月にはいった今日がラストだ。近隣の高校二くらべてだいぶ遅いが参加者はかなり多い。どうせ終了後のアンケート回収と同時に人数カウントもおこなうのだろうがそんなことをしなくてもパイプ椅子の行掛ける列引く空席で簡単に計算できる。男女比はさすがに数えなければわからないけれど参加総人数は目算で五三八名。来年度の募集人数はたしか九クラス編成の三六〇名の予定で、ぱっと見て制服を着ているほうが圧倒的に多いから定員割れはまずない。人気の秘訣はやはり都心に位置しているのと進学率、部活の実績等々だろうか。お世辞にも制服はかわいいともかっこいいとも言いがたいデザインだ。とくにマスタードカラーのネクタイがとびきりダサいという評価を耳にするけれど真価はジャージで発揮される。ファッションにこだわりのない健二でもジャージ購入の際に体育着と合わせて引いた。
 年の末も見えた時期の学校説明会なんてここを第一志望に考えている中学三年生が大半なのでだれもがまっすぐに夏希の言葉に耳をかたむけている。船に乗りこんでいるのはどちらかというと身内のほうだ。全館空調で暖房を入れているので寒いことはないが、閉めきりの体育館がこんなにあたたかくてのぼせたりしないだろうか。
「しっかしー、夏希先輩もむちゃくちゃだよな、相変わらず。一時間で会場のセッティングしろなんてさ」
 同じように手すりに両腕を置いて階下を見ながら佐久間が小声で言う。
「手配忘れるとかないわー。顧問仕事しろよ、仕事」
「たしかに急だったよね」
「ま、それでもなんとかなっちまうあたり、夏希先輩の人徳ってすげえよな。さすが、武家の血ってやつ?」
「それはなんかちがうんじゃ……」
 眼下のステージにひとりで立ち、マイクを片手にスクリーンに映るスライドをわかりやすく説明する夏希は実のところすでに生徒会長を退任している。生徒会も同じく解散されており、選挙管理委員会の下で選挙がおこなわれたのはもう先月のことだ。副会長以下の役員はスムーズに立候補者が当選したのだが生徒会長だけはなぜか無効票が多く、現在再選挙の最中だ。おかげで昼休みになるとスピーカーからは投票数を集めるためのスピーチが連日流れてくる。
 そんな状況下で新生徒会にとっては降って湧いたような年間行事。
 会長業務以外はすべて引き継ぎが終わっていても説明会のタイムテーブルには生徒会長からの挨拶もふくまれており、またこの時期にそれがないのは不相応だ。船頭が多いと船は山にのぼるが船頭おらずして船は進まない。そこで(長がいないので非公式的団体であるが)発足して間もない新生徒会は前生徒会長にして人望篤い夏希に泣きついたというわけだ。
 期末考査を目前にひかえているというのに突然の仕事を引き受けた夏希の人気はもはや不動のものだろう。大きな身振りでスライドを示す夏希を見下ろしながら健二はふと指折り数えてみる。
「ええと、スタッフがぼくたちと生徒会に放送部だろ。パンフ組んだのがオケ部と演劇部だっけ?」
「そうそう。で、シート敷いたのが剣道部」
「へえ。じゃあ椅子ならべたのって」
「そんなの、その辺で練習してた体育会系だろ。先輩がお願い! ってすりゃイチコロだって」
「あははは。佐久間がやるときもい」
「おまっ」

(中略)

「でさ、キングから聞いたんだけど、健二こないだだれといたんだ? つーかキングになに言ったんだ、おまえ」
「へ?」

「あ、それわたしも聞いた。佳主馬の様子変だったし、ねえねえだれとなにしてたの?」

「先輩、言い方がアレっすよ」
「わたしというものがありながら!」
「ええええ」


鍋⑤

一二月二七日・午後


 事情聴取というものはどうにも肩が凝る。ただ話を聞くだけならまだしも取調室のようなせまい個室で一対三くらいの割合でおこなわれるがいけないと思う、あれでは相手に委縮効果をもたらすばかりだ。実際に委縮しっぱなしだった健二は普段から凝っている肩を少しだけ伸ばし、途中でばきりと嫌な音がしたので無理はさせずにぶらんと振り子のように垂らした。これ以上は確実に攣る。専門家でもないのに馬鹿をして悪化させては元も子もない。
 人通りの邪魔にならないように比較的閑散としている場所に立ち、道路をはさんで反対側にずらりと伸びる行列から佳主馬を目で捜し出しながら健二はそっと息をついた。誰が聞いているわけでもないが誤解のないように言っておくと別に佳主馬に対してのため息ではない。ただもう人の多さにうんざりしていた。
 わざわざ意識して見ようとしなくてもまわりは人、人、人。記憶がたしかならば銀座や秋葉原のような歩行者天国ではなかったと思うがそれでも人はありとあらゆる空間にあふれている。時おり通る軽トラックや乗用車が迷惑がられるほどの数の暴力。年齢、性別、職種、国籍を問わない人間が群れを成して闊歩している様は彼のジブリアニメの名言を髣髴とさせ、同時に、何年か前にやっていた深夜アニメを思い出させる。キレた奴らが集う街。健二よりもう少し年上の人ならばウエストゲートパークのイメージが強いのかもしれない、東京都豊島区池袋。かつては東洋一の高さを誇ったサンシャイン60をランドマークとし、いまやオタク的な意味で秋葉原とならんで世界的にも注目されている繁華街だ。
 カレンダーの上では平日も平日だというのに池袋が人であふれているのはいつものこと、それにプラスして大学生以下は冬休み真っ只中だ。高校の物理部OBや大学で知り合った女子、OZでのバイト仲間であるプログラマー等々の職に就いている人たちに言わせれば年末こそが勝負らしいが健二には関係のない話。年明け寸前までお疲れさまですとしか言いようがない。駅の東口から出るときに構内でやたらとキャリーケースをもっている人を見かけて、海外や旅行先で新年を迎えるのだろうかとボケをかますほど無知ではないつもりだ。数年も前から世間に浸透しはじめたサブカルチャーのイベント各種はそういうものがあるんだよといった感じで広く知られている。参加している人たちにとっては余計なお世話だろうなあとニュースの特集を見ながら他人事的に思ったものだ。
 それにしても人が多い。年末の買い出しやらセールやら、後は単純に遊びにきただけ。



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鍋④

一二月二六日・夜


 角が取れた正方形の白っぽい卓の中央に設置されたカセットコンロでぐらぐらと煮立つ土鍋を前に、佳主馬はしかめっ面になっていた。蓋がされているのでなかの状態はわからないけれどにおいからしてまず出汁に泳ぐ昆布は期待できないだろう。かと言って一時期流行ったコラーゲン鍋とやらでもなさそうで。ある意味で鍋の定番メニューだが同時にただの鬼門だった。
 一度土鍋から目をはずすことを決め、佳主馬は床に片手を突いてぐるりと室内に見まわした。仕切りもないおかげでキッチンが一直線に見えた。反対側には壁にぴったり沿うかたちでパイプベッドが収まっており、佳主馬の位置から見て左手側にデスクトップパソコンのラックと座椅子がある。ちょうど長方形の1Kに短い廊下がくっついてその両側にトイレと風呂がそれぞれ併設されているちょっと洒落た一室は大学の先輩から譲り受けたものだそうだ。冷蔵庫もついでにもらったという話を前に聞いたことがある。さして広いわけでもない部屋は男三人でもう手狭に感じられた。
 肩で嘆息し、背後のキッチンが見えるよう腰をひねる。怪我人だというのに庖丁をにぎる健二がかたむいて見えた。
「健二さん、炬燵なんていつ買ったの? 去年はなかったよね」
「ああ、うん。こないだちょっと安かったから。ニトリで」
「ニトリで」
 改めて佳主馬はいま自分が半身を入れている暖房器具に目を戻した。フローリングにカーペットを敷いて、炬燵布団も毛布をはさんでいるせいか小さいながらも十分あたたかい。エアコンは元から備えつけられているようだがこちらのほうがずっと好みだ。一度はいったら出られない悪魔と定評のある炬燵だがそれだけあたたまるということ。床暖房だ全館空調だとさまざまに発達してきて結局からだだけでなく心もあたたまるのは炬燵や半纏といったそれだけであたたかいイメージに直結するものだ。夏場にはもうすっかりクーラーが定着してしまっているが、夏を上田のほうで過ごすのが毎年の恒例になっている佳主馬にとっては打ち水をしたり桶に氷水を張って足首を冷やしたり、夕立なんかのほうがずっと涼しい感じがする。人によってはくさいと表現するかもしれない、地面に撒いた水がかわいていくあのにおいが佳主馬は好きだった。
 ひとり暮らしの部屋に、炬燵。考えてみればストーヴよりも贅沢かもしれないが。
「このカバーなんなの」
「あ、それ? いいでしょー」
 野菜やらなにやらをざくざく切る手を止め、こちらを向いた健二がほわりと笑う。性質のわるいことに本気で言っていた。
 なにも言えず、そしてなにも言わずにまた具材との格闘に戻るのを見届けて佳主馬はカバーをめくるように一枚つまんだ。健二は根からうれしそうにしているが本音的にどこがいいのかさっぱりわからない。部屋全体のコーディネイトはとても落ち着いているのにこのカバーのせいでなにかがおかしくなっていた。それでも調和の取れた雰囲気をぶち壊さずひっそりなじんでいる辺りがおそろしい。
 理解しがたい趣味に首をかしげていると錠に差しこまれた鍵のまわる音がして、つづけてばたりと廊下と部屋を隔てるドアが開いた。
「あー、さみぃー」
 声とともに流れこんできた冷気に、佳主馬は反射的に肩まで炬燵に深くはいりこむ。寒いのは苦手だ。しかし厚着でもっさりするのも嫌で昼間はヒートテックをインナーにがんばったけれど日が落ちてからの温度は耐えがたいものがある。電車は暑いし外は寒いし、それなのに防寒の程度は見る人見る人でちがうから少しも参考にならない。雑誌を読んでみても、あれはコーディネイトバランスを重視しているから利便性は欠片ほどしか考慮されておらず、結局はその土地で長く暮らして身につけるしかないのだ。生活の知恵に付け焼刃はほとんど通用しない。
 その地元民である健二はやはり平気なようで、手の水気をタオルで拭いながらPコートを脱ぐ佐久間の傍に寄る。
「おかえり。あった?」
「あった、あった。ったく、鍋やるっつーなら白菜切らすなよな」
「だからわるかったってば。ほかになんか買った?」
「もやしと餃子と、……」
「レシートは?」
「わり。捨てちったわ」
「ん。じゃあそれこっちちょうだい。鍋見てよ」
「了解」
 流れるような会話はそれだけで付き合いの長さを知らせる。たとえるならば阿吽の呼吸、夫婦のようなと言っても差し支えない感じ。けれど佳主馬の精神衛生に差し障りがあるのであまり言いたくない表現だ。
 ふたりがセットになるといつだって佳主馬は置いてきぼりにされる。健二は無意識だろうけれど佐久間のほうか確実に気づいているであろうボーダーラインが引かれるのだ。はじめて会ってから何年経とうと何度話そうと健二のなかで佳主馬はまだお客さんなのだ。夏希の愚痴がよくわかる。面と向かってふたりきりでは緊張でなにもできないのに中継役の第三者がいたら置いてきぼりだなんてひどい話だ。
 こめかみを卓の縁に当てて頬の片側を布団に埋めていると佐久間が菜箸を片手に具材が大量に盛られた笊を運んできた。
「お。キング起きてるじゃん。おはー」
「……おかえりなさい」
 起きたのはだいぶ前なのでとりあえず帰宅を出迎えてみたら眼鏡の奥で不思議そうにまばたかれ首をひねられる。
「なんだよ、機嫌わるいの?」
「べつに」
「ふうん。原因はこいつか」
 炬燵に潜りこみ、空いた手で佐久間が布団カバーをたたいた。
 青いキルトの布は防災頭巾のカバーや体操着入れなどとして小学生時代によくなじんだものだ。たとえば日曜日の朝にやっている戦隊物だったりアニメのキャラクターがプリントされていたりとある意味子ども時代の流行を明確に描き出すものだが、正直これはない。
「まさかのキング・カズマ柄だもんなー」
 けらけらと心底愉快そうに笑われ、べたりと炬燵に懐いたまま佳主馬は眼鏡の辺りをにらみつけた。同時に、視界のはじっこにアニメ調に描かれた相棒が映りこんできてまたもや微妙な気分になる。たしかにストラップやTシャツなど一部のグッズ展開を許可した覚えはあるけれどいくらなんでも布にまでなっているとは思わなかった。
 目を逸らしていたから気づかなかったけれど青い生地の上で飛んだり跳ねたり挑発している自分のアバターは三タイプ。三年前の対ラブマシーン戦からこちらモデリングをいじっていないのでチャンピオンベルトは奪還したもののキング・カズマは金髪でラフなスタイルのままだ。初期のデザインはメディアにも多く残っているから当然として、最後にラブマシーンをたたいたときのぼろぼろになった姿まで拾われていたのにはびっくりする。
「それつくったの佐久間だよ」
 一度目を向けてみればどんなポーズがあるのか気になるもので、カバーをもちあげてまじまじ眺めていたらそんな声が後頭部に投げられた。言葉がぶつかった衝撃で佳主馬は顔をあげる。
「佐久間さんが?」
「おう」
 手際よく具材を出汁にざらざら分けて落としながら佐久間はなんてことないようにうなずく。
「裁縫できたんだ」
「まあな。健二ほど縫い目きれいじゃないけど」
 ふたたび土鍋に蓋をして焜炉の火を調節。先ほどの半分くらいにまで積載量の減った笊を卓に置いて、佳主馬が訊ねるより早く佐久間は顎をしゃくって健二を示してみせた。
「こいつに雑巾縫わすと既製品かってくらい縫い目がっちり揃ってんだぜ? 実際に縫うところ見るまで買ってきたやつだと思ってたし」
「マジ?」
「マジで。縫うのすっげえ遅いけどな」
「ああ。なんとなくわかる」
 健二のことだ、縫い目も縫い幅も等間隔になるようにこだわる気がする。ミシンならまだしも手縫いでそれは時間がかかって当然だ。だがしかし、いくら丁寧に縫っても所詮は雑巾、最終地点はただのボロ雑巾でしかないから無駄な努力とも言える。当の人がやり遂げて満足できるならそれでいいのだろうけれど。
「その話やめて」
 把手のついたトレイをもった健二がうんざりした口調で会話に加わった。声の感じからしてもいままでに何度も言われてきたであろうことがわかる。
 根本的に健二は合理的な生き方を選んでいる節があるから原則として器用だ。料理のレシピがあればその通りにつくれるし、とりあえずでも理論がわかれば実践できるタイプだ。よほど突飛でないかぎり応用も利く。包み隠さずに言って不器用ではない佳主馬からすればある意味ファンタジーだ。六月ごろにあった体育祭のときにはじめて自分でゼッケンに名札を縫いつけたけれどあのときほど絆創膏の世話になったこともない。母親はおろか最近ませてきた妹にまであきれられた。だから普段から手伝いなさいって言ってるでしょう、という母の小言が耳に痛い。現時点で勉強は不得意、家事は苦手、特技はOMCだなんて笑い話にもならない。場合によっては塾の春期講習に通う羽目になるだろう、それもすべて成績次第だ。指定校推薦であれ一般入試であれ、東京の大学を目指すのであればそろそろ本腰を入れねばならない。健二だって高二の秋から勉強をはじめて東大に受かったのだから佳主馬もがんばらなければ。
 トレイに乗せて運んできた食器をそれぞれの前に配し、畳んだ膝を炬燵のなかに入れてグラスに烏龍茶を注ぎながら健二は対面に目配せする。
「佐久間。そろそろ」
「はいよ」
 やはり佳主馬には侵入りこめない慣れでうなずき、佐久間は濡れた布巾をミトン代わりに土鍋の蓋をもちあげた。へばりついた水滴が落ちないようにすぐさま引っくり返して卓上ではなくカーペットに直接置いた。
 湯気が晴れてようやく鍋のなかが確認できた瞬間、見なければよかったと思った。
 白菜や長葱、ニラなどの葉物にはじまり、きのこ、豆腐、肉、白身魚に牡蠣と豊富な具材が皆総じて赤い出汁に浸っている。マグマのようにぼこぼこ沸騰した部分に見えたり見えなかったりしているのは考えるまでもなく輪っかに切られた唐辛子で。
「しっかしー、クリスマスにキムチチゲの予定だったとはね、こいつは聖夜もびっくりだ」
「う……いちいち掘り返すのやめろよ」
「嫌なこった。しばらくこのネタは手放せなそうにないなあ、健二くん?」
「最低だよ、佐久間……」
 じと目でにらむ健二もなんのその、佐久間はかんらからと笑うと早速に鍋に箸をつけた。ため息を漏らしながら健二もまた箸を伸ばす。ひとり残された佳主馬も箸をにぎって比較的赤く染まっていない野菜を取り皿に分けた。肉もきちんと取って、豆腐は食べたかったけれど完全に浸かってしまっているからアウトだ。
 三人それぞれの取り皿が埋まったところで誰からともなく手を合わせ、いただきますと声を揃える。
「ちなみに締めはうどんです」
 さらりと言われたそれに思わず肩が跳ねた。白米をチェイサーにしようと思っていただけに予想外。
 目ざとくも佳主馬の箸が止まったことに気がついた健二が口のなかにあるものを飲みこんでから首をかしげた。
「もしかして佳主馬くん、うどん嫌だった?」
「嫌じゃないけど、もしかして土鍋も最近買ったのとか言わないよね」
「あ、うん。これは買ってないよ」
「学祭の数学ビンゴで当たったんだよなあ」
 平然とキムチチゲをつつく成人ふたりが口々に言う。
「数学ビンゴ?」
 取り分けたそを口に入れては烏龍茶で飲み下し、佳主馬は妙な単語を出した佐久間を見た。
「そ。誰が考えたんだっていう無茶ぶり全開のゲーム」
「あんなの全然無茶じゃないよ」
 牡蠣を取り皿に移しながら、健二。佐久間に向けていたあきれた目を目蓋一枚で早変わりさせ、「あのね」佳主馬に向きなおる。
「ひとりひとりに数字が無作為に配されてね、司会者がランダムに選んだ数字五つを使って自分の数字にするんだ。四則計算はもちろん、公式はなに使ってもいいっていう無茶苦茶なルールだけど、まあモッド・サーティン・スピードの発展型みたいなものだし」
「……へえ」
 つっこんだら長くなると直感的に感じ、ついつい返事がおざなりになる。視線をそっと動かして左側を見てみれば話を振った当人は黙々と鍋の容量を減らしては足していく。いま白菜に隠すように入れたのは先ほど言っていた餃子か。
 健二のほうも微妙な反応しか返ってこないことを予想していたのか話はそこで打ち切られた。
 皿にあった牡蠣を口に入れ、もごもごさせながら次の具を盛る。慣れた手つきだ。いままでひとり暮らしも同然の生活をしていたはずなのにこれということは鍋の経験値は相当高そうだ(鍋の経験値ってなんだ?)。自分の試行に突っ込みを入れつつ佳主馬もまた冷めた肉を噛んだ。熱が抜けているせいでそれほどではないが口に広がる赤い味を烏龍茶で緩和させる。先ほどからそれのくり返し。固形物よりも水分で腹がふくれる勢いだ。しかし水なしに耐えられる味でもなくて。
「健二さんお茶取って」
「ん? ああ、はい。どうぞ」
「ありがとう」
 三分の一ほど中身が減ったペットボトルを斜めにする。昼間買ってきた飲み物は烏龍茶と緑茶、それにパックのグレープフウr-ツジュースと健全そのものだ。アルコール類は必要ないのかと訊いたら未成年がいるのに買わないよとあっさり返された。
 大きな声では言えないが陣内家では未成年もアルコールを嗜む機会はあって、その筆頭が正月だ。中学にあがればグラスの半分くらいは飲ませられるようになって、しかしこれは慣習のようなものだ。室町時代から続く旧い家だからお屠蘇を飲んで邪気を払うのはもう為来りになっている。ほかの旧家ではどうか知らないけれど陣内家はこうなっている。健二が年末年始の宴会に来たことはないから知らないのも当然と言うか、健二が上田に来たのは三年前の夏と、去年と今年の春夏だけだ。佳主馬はそれが不満でならない。三六五日中一〇〇日は休みの大学生なんだからもっと遊びにきたっていいのに。
 具材も粗方なくなったところでうどんが投入され、赤い出汁がふたたび煮立つ。はじめよりも煮詰まっているから相応に味も尖っているはずだ。野菜などの水分でまるくなった気がしないのは途中で市販の出汁を注ぎ足したからだ。
「佳主馬くんもしかしてそこ取りにくい?」
「え」
 うどんに手をつけようかやめておこうか考えながら箸休め(をするほど食べてもいないけれど)にしていたら急にそう言われ、口に流していた烏龍茶がごぽりと気泡をつくって弾けた。
 うどんの白い渦から佐久間の入れた餃子を物の見事に掘り当てて自分のものにしながら健二がにこりと笑う。
「さっきから器からっぽだから。よそってあげようか?」
 はい、と伸ばされた手に頭のなかがぐるんと一回転した。
 別に隠しているつもりはないけれど辛いものはそう得意ではない、と言うか猫舌なのだ。カレーやマスタードなどの辛さは平気だが唐辛子やわさびのようなものはてんで駄目で舌が受け付けない。味よりも先に熱が痛みとして感覚されてしまってその後の味は少しもわからなくなる。ときどきテレビで激辛好きの芸能人が最早赤以外の何物でもないものを平気で食べているのを見るけれど舌が壊れているとしか思えない。元から辛いものに辛いもの足すとか味覚マゾにもほどがあるだろう。
 ここのキムチチゲは色味は派手だが冷めたものならば耐えられなくもなかった。食べられないことはないけれど進んで食べたいとも思えず、しかしこちらの反応をにこにこ待っている健二の好意を断ることもむずかしい。なにより健二は佳主馬をただの甘党としか認識していないだろうから余計に断りにくくて(だって甘党で辛いの駄目とかそんな格好わるすぎる)。
「…………お願いします」
 片言になりながら取り皿を手渡す。結局天秤がかたむいたのは味覚の限界ではなく健二の笑顔とプライドのほうにだった。半ば予想できていた事態だけにあきれることもできない。
「はーい。あ、お豆腐あったけど入れて平気? 舞茸とか駄目?」
 有り体を言えばキムチチゲ自体が駄目です。なんて言えるはずもなく佳主馬は首を左右に振るう。どれだけ盛られるか想像もつかない。もし健二が参考にしているのが上田での盛り具合だとしたら口内の死亡は確定的に明らかだ。夕飯ってこれほど決死の覚悟で臨むものだっただろうか。
 すると、いままで箸を置いて積みあげられた雑誌の一番上をぱらぱらめくっていた佐久間が前触れもなく腰をあげた。
「佐久間?」
 怪訝な健二をもスルー。
 首だけひねって後ろを見やればちょうど冷蔵庫がぱたりと閉められたところですぐさま取って返してきた。手になにかもっている。佐久間は先ほどと同じように炬燵布団をあぐらにかけると手のなかのそれを未使用の器にぶつけた。
「たまご?」
 上体を伸びあがらせて準鍋奉行(だってふたりで鍋奉行しているようなものだ)の手元を覗きこんで健二がつぶやく。
「そろそろ辛いの飽きたし、ここらで味変えね?」
「お、……ぼくはいいけど、佳主馬くんは?」
「平気」
 むしろ願ったり叶ったりだ。健二が佳主馬を気にして一人称を意図的に直したことが気になりつつも佐久間の目を見て軽く頭を下げればたまごを溶きほぐす箸をちょいちょいと動かされた。たぶん、気にするなというサインだろう。そう解釈することにして佳主馬はグラスをまわしてほとんどが溶けてしまっている氷を鳴らす。たまごがあるなら勝ったも同然だ。カレーにうずらのたまご落として食べるのと同じ感じにマイルドになって食べやすくなるのはわかり切っている。
 とろとろ流しこまれる卵液を見ながら佳主馬は炬燵のなかでぐっとガッツポーズをつくった。
 そうこうしているうちに土鍋のなかは汁気もなくからっぽになった。うどん四玉など食べざかりの男子高校生と成人男子ふたりにかかれば分けても一人前にもならない。
 片づけは後まわしして三者三様に腹を休めつつ炬燵のなかで専有スペースの取り合いをしていると(電熱線式ではないから火傷の心配はいらない)、なぜかひとり勝ち組になっていた佐久間が直方体の部屋をぐるりと見まわした。
「つーか、相変わらず物が少ないんだか多いんだかわっかんない部屋だよなあ、ここも」
 肘を突いて頭を支え、カーペットに横になって雑誌をめくっているのに勝手知ったる他人の家だと全身が物語っている。
「そんな言い方しなくたっていいだろ」
 対して、家主の反撃。
「これでもこないだ片づけしたんだから」
「散らばってた本積みあげて脇に寄せるだけは片づけって言わないっつーの。キングよく泊まれたな」
「泊まってない」
 話の矛先が向けられ、卓に突っ伏していた佳主馬は顔を腕に埋めたまま早口に言った。とくに言うことでもないので言わなかったけれど隠しておくことでもない。
え、とふたりの声が重なって聞こえてきたのに応じて顔をあげる。
「病院行く前に荷物置きにきただけで昨日はビジネスホテルに泊まったんだ。だから部屋のものには手つけてない」
 これは本当のことだ。昨夜鍵を受け取ったはいいけれど住人不在の家にあがりこむ気にはなれず、佐久間と駅で別れた後はそのまま駅前のビジネスホテルにOZ経由で部屋を取った。未成年である佳主馬がそのまま行ったところで補導されるか断られるかだがオンラインで予約してしまえば後はコード照会で済んでしまう。インターネットの覆面性を半ばどころでなく利用しているがどのユーザーもができるわけではなく、決済もウェブマネーでおこなわれるため原則としては二〇歳以上が対象であり未成年は保護者のサインが必要となる。これは犯罪の発生を未然に防ぐためだ。けれども例外はやはり存在するもので、超法規的措置を受けているのはあくまでもキング・カズマのユーザーだ。池沢佳主馬個人ではない。だから昨夜の荒業はOMCと契約を交わしているキング・カズマのユーザーとしての特権を濫用したとも言えて、けれどそこはわざわざ言うべきことでもない。舞台裏や制作秘話は訊かれてはじめて答えるものであって能動的に語るべきではないのだ。手間がかかったのはたしかだけれど、それでも健二がいない家にいるのは嫌だったから。
「そうだったんだ。ごめんね、佳主馬くん」
 言葉をどう捉えたのか、すまなそうに首を引っこめた健二のほうを向き、少しだけ頭を浮かせて佳主馬は首を振った。
「べつに健二さんがわるいんじゃないし。それで鍵なんだけど」
「あ、それ佐久間のだから佐久間に返してもらえる?」
「は」
 予想外の返答に一瞬だけ硬直する。待って、いま誰のだって言ったよこの人。
 しかし佳主馬の動揺などいざ知らず、健二は傍らに転がっていたペットボトルの首をつかみあげた。
「お茶なくなっちゃったし、新しいの取ってくる」
「ついでにケーキ切ってこいよ。口直ししようぜ」
「オッケー」
 佐久間の提案にも軽く応じ、さらについでとばかりに鍋のなかに取り皿や割り箸も放りこんでいっしょくたに運んでいってしまう。卓の上には役目を終えたカセットコンロがぽつねんと、わずかに飛び散った出汁が点々としているのが名残惜しく感じられる。だがそこを惜しんでいる場合でもなくて佳主馬は寝転がっている佐久間に合わせて腹這いになり、内緒話をするように顔を寄せた。別段健二に聞かれてこまるようなことでもないけれど、そこはそれ、なんとなくだ。
「どういうこと?」
「聞いたまんま。その鍵はおれ用ってこと」
「納得いかないんだけど」
 それ以前に意味がわからない。なぜ健二の家の鍵で佐久間専用が存在するのか。
「まあ落ち着けって。健二のやつ、まだ二年のくせに大学に泊まることも少なくないからさ、おれは着替えとか届けるパシリなの。いちいち鍵借りにいくのも面倒だからつくっちまった」
 馬鹿みたいな話だろ。空いている手をひらひらさせながら佐久間は器用にもそのままの体勢で肩をすくめてみせた。
 それは佐久間にとってすれば馬鹿話なのかもしれない。たかが合鍵、されど合鍵。とっくに二〇歳を迎えて世間的に法的におとなとして認められた人たちには、いままでもこれからも泊めたり泊まったりしていた関係の人たちにはわからないのかもしれないが合鍵を渡す/渡されているというのはものすごく特別なことのように思える。うらやましくないと言ったらそれは確実に嘘だ。うらやましくないわけがない。しかしいつも会えるわけではない佳主馬が合鍵をもっていても仕方がなくて。でもいらないわけでもなくて。
「佐久間ぁ、コンロもってきてー」
 キッチンのほうから届いた健二の声が不意におもしろくなく聞こえて、佳主馬は佐久間よりもワンテンポ早く炬燵を抜け出してカセットコンロをもちあげた。


鍋③

一二月二六日・昼


 動かしにくい左腕をかばいつつ、頭に巻かれた包帯がずれないように気をつけながら健二は検査着から私服に着替える。看護士の女性は親切にも手伝いますと申し出てくれたけれど、いくら仕事とはいえ年齢の近い異性に着替えを手伝われるのはやはり気恥かしくて断ってしまった。セクシャルな意味は一切なくても男として情けないというか、なにより自分でできないことでもなかったのでこうしてひとり奮闘している。経過は悪戦苦闘。日常でどれだけ非利き手も活用しているかは制限されてはじめてわかることだ。思えば計算用紙を支えているのは左手だ。なるほど、人間はなかなかどうしてバランスよくできている。
 着替えと言ってももともと泊まる予定などなかったからふつうに昨日着ていたそれだ。洗いまわしたせいですっかり色の落ちたジーンズに、格子模様のはいったボウカラーのシャツと襟首がざっくりとまるいセーターの二枚。靴はABCマートで適当に買った歩きやすい革のやつだ。なんだって昨日にかぎって前開きでない服を着ていたのだろうかと自身のチョイスに悪態をつく。
「あー、佐久間でも呼べばよかったな……」
 もちろん、着替えを手伝えなんて言って呼び出されてくれる親友さまではないけれど。
 ベッドの上で両足を伸ばした体勢でジーンズはなんとか穿くことができた。上半身のほうも、昨日一日着てくたくたになっていたおかげで着られることには着られたが普段の三倍の時間がかかってしまった。非効率的すぎる。怪我が完治するまでは前開きのシャツを着まわして凌ぐしかなさそうだ。服装に頓着してこなかったせいでワードローブはすかすかしている。無印良品かユニクロかジーンズメイトか、その辺りで買い足して帰ったほうがいいだろうか。靴下を履かせた両足をベッド下に揃えて置いたスリッパに乗せる。
 検査は午前中に終わって、担当してくれた医師からの説明も受けた。大げさに包帯を巻いてはいるけれど簡潔に言ってしまえただの打撲だ。頭のほうは打ちどころがよかったのかわるかったのか数針ほど縫ったが抜歯の必要はないそうだ。医療用ホッチキスでばちんばちん止めていて、針は自然と溶けてしまうとかなんとか。すでに処置が済んだことを健二がとやかく言っても仕方ないが、それでもホッチキスはなんだか微妙な感じ。頭に浮かぶのは工作用のあれ、麻酔がかかっていたとしてもすごく痛そうだ。
 ベッドから降りて妙に広い病室を見渡す。急患あつかいで搬入されて、それで急遽入院することになったので大部屋の空きがなく、仕方なしに空いていた個室に放りこまれた次第だ。ひとりで眠るのには慣れているし。反対に見知らぬ他人大勢と一晩過ごすほうが苦痛でしかない。修学旅行など気の知れたクラスメイトとならば平気だが年齢に統一性のない空間にいるのは耐えがたいものがある。顔を合わせてのコミュニケーションはOZよりもずっとむずかしい。
「んー……」
 無事な右手で寝癖頭をかきまわす。医師の話だと半月もしないうちに包帯は取れるらしい。経過を見るために明日か明後日にもう一度来院してほしいと言われ、頭のなかで算段を立てる。明日は事情聴取があって、佳主馬も午前中にOMCの何かがあると言っていたから明後日に来ればいいだろうか。
 ベッド脇に置かれていたデイパックから電源の落ちたケータイを取りあげる。病院内は原則としてケータイ禁止だ。しかし健二が事故に遭ったことは佐久間がちゃんと佳主馬に伝えているはずだから完全な音信不通にはなっていないはず。まだ意識がはっきりしているときに鍵を渡してくれるよう言ったからたぶん大丈夫だろう。
 のっぺりと暗い画面を見ていた健二はぱちんとケータイを閉じるとジーンズのポケットに押しこんだ。どうせ洗ってしまうとわかっていながらもベッドを整えて(どこか泊まったときのくせだ。当然ながら佐久間相手にこんなことしない)デイパックも右肩に背負うと部屋の引き戸に指先を引っかける。院内は適度にあたたかいのでコートは傷に障らないよう左腕で抱えもつ。病院はあまり好きではないから、帰っていいならもう早いところ帰りたい。
 つっかかりもなく横にスライドしたドアを一歩抜ける。薄青い室内から出た廊下は白い明るさで満ちていて、まぶしさに目を焼かれて健二は目を細めた。掲げた右手を盾に網膜にはいる光の量を調節する。猫のように極端ではないとしても健二の瞳孔も大きくなったり小さくなったりしているのだろう。自分ではなかなか見られないのが少し残念だ。昔は猫の瞳孔を見て時間を把握していたという話を誰かから聞いた覚えがある。健二の場合確認する前に引っ掻かれそうだ。そもそも猫はあまり、というか生き物は得意でないから向こうにもそれがわかられているのかもしれないが。
 カルテや器具の載ったカートを運ぶ看護士や車椅子に座るお年寄り、パジャマの子どもたちとすれちがいながら健二はエントランスのほうへと足を進める。健二に宛がわれた部屋は五階の(病院に四階や四のつく部屋は存在しない)端にある角部屋で、受付として機能しているナースステーションまでは少し距離がある。幅が広く取られた明るい廊下を、あえて端に寄って歩きながら健二は玄関前のロータリーを見下ろした。何台も停まっているタクシーにどうやって帰ろうか考える。時間を合わせればバスも来るし、駅まで歩ければ電車で帰ることもできる。救急料金は割高だが支払いはぜんぶ飛び出してきた男の子の保護者と車の運転手がもつということで決着したので健二の財布に打撃はないから自分を労わってもいいかなあと思わないでもないけれどもったいないような気もする。贅沢は敵、というか普段運動不足だから事故に遭ったようなものだ。少しは歩かないと。
 窓に映った自分自身の頭に巻かれた包帯を見、その部分のガラスを撫でながら健二は小さく息を吐いた。
「間抜けすぎるだろ……」
 そもそも飛び出してきた子どもを避けた車に撥ねられた時点でただの二次災害だ。咄嗟にかがみこんで左腕で頭をかばったからこの軽傷で済んだけれど真っ向から轢かれていたらどうなっていたか自分でもわからない。と言うか撥ねられた前後のことはドーパミン大放出すぎてあまり覚えていないのが本当のところだ。自分が事故に遭ったと認識したのも火が点いたように泣く子どものおかげだ。とりあえず危機的状況に陥ったときに風景がスローモーションに見えるというのは事実だった。ちなみに縫うような傷は撥ねられた拍子に背後にあったコンクリート塀の角にぶつけたからだ。これはなんと言うか単純に運がわるかった。
 それにしても子どもに怪我がなくてよかったと思う。車はT字路を曲がるところでさほどスピードを出していなかったとは言え小さな子どもが事故に遭ったらそれこそゴム毬のように跳ねただろう。車の重量と加速度、目算で図った子どもの体重から計算して得られる結果は直視したくないものだ。それならまだ健二のほうが生存率が高くて実際に軽傷で済んだ。これを僥幸と言わずしてなんとする。
「はあ……」
 振りかえれば振りかえるほど不慮の災難でしかなかった。誰がわるいのか、責任の追及はむずかしい。突きつめれば子どもの保護者の管理不行届になるのだろうがその辺の事情はたぶん明日にでもわかるだろう。事情もなにもほとんど覚えていないからちゃんと説明できるか不安だ。
 いっそレジュメでもつくっていこうかな。ゼミの発表のときですら面倒に思うことを自主的に思い浮かべながら健二は階段を下りる。バランスが取りにくくて手摺をつかんでゆっくりと下りていたら一階に着くまでに何度も声をかけられて少々恥ずかしい思いをした。病院はそういうところで、健二はそうされる立場というか格好をしているのだから仕方ないけれど妙に申し訳なくなるのでできればあまり注目してほしくない。
「連絡、しないと」
 ねじこんだケータイを思い浮かべながら健二はため息をつく。電源が落ちているから着信履歴が埋まることはないだろうがメールはちがう。OZのメールセンターに溜まっているのが一斉に送られてくるから待受画面で自身のアバターが封筒に埋もれるのが簡単に予想できた。もしも佐久間が佳主馬だけでなく夏希にもメールをまわしていたとすれば大惨事が想像に難くない。それは以前ぶっ倒れたときの連絡網で身に沁みている。
 佐久間は後まわしでいいとして、やはり佳主馬には連絡を入れておくべきだろう。なにか作業をしていたら邪魔したらわるいからメールのほうが適当か。どのように書いたら過不足なく伝わるだろうと頭のなかにメール作成画面を想像して、やはり空想のキーに親指を乗せたところで健二はぱたりと立ち止まった。
「あ」
 ばらばらと人が座っている背もたれのないソファのひとつに佳主馬がいた。フードにファーのついたオリーブ色のモッズコートの前を開けて足を組んでいるのがとても様になっていて一瞬誰なのかわからなかったくらい。それでも第一印象の名残はあるから全然わからないということもなくて、数年前にあったまるみが削げていまやすっかり男のそれだ。子どもとおとなの境目の顔。相変わらずきれいな顔をしているがもう女の子にまちがえられることもないだろう。はじめて納戸で見かけたとき性別の判断に自信がなかったなど口が裂けたって言えやしない。
 向こうも健二に気づいたらしく、佳主馬はヘッドフォンを首に引き下げた。片手にもっていたケータイを操作してコートにつっこんで立ちあがり、大股で距離をつめられる。
 トレッキングブーツの渋い赤が床を踏んで、そのつま先から上をたどるように視線をもちあげた健二はぱちくりと大きくまばたいた。
「なんでいるの?」
 反射的に健二はそう言った。脳なんて通していない、ほとんど脊髄にあった言葉をそのまま口にした。飾らないどころか歯に衣着せぬそれは身も蓋もない。
 途端、佳主馬の眉があからさまにひそめられ(当たり前だ)、ぎくりとして健二は半歩ほど足を引いた。
 空いた距離をすぐさま埋めて、佳主馬は腕を組んだ。
「心配させといてまず言うことがそれ?」
「うぐ」
「人には気をつけろって言っておきながら自分は事故ってるとかなに?」
「いやあのそれは」
「健二さん」
 強い声で呼ばれる。健二をまっすぐに見る目は真剣そのものだ。
「おれが、どんな気持ちだったかわかる?」
 黒ではない、黒に近い焦げ茶の目が揺れていた。水の気配はなくとも泣きそうに色が見えて胸が痛くなる。
 自分は当事者であるからなんでもないこととして認識してしまっていたけれど佳主馬にはもっとちがうことと捉えられていたのだろう。彼の思いを健二が想像するのはひどくむずかしい。起源も経過も異なるのだからそれは当然で、これから先もそれは変わらない。いくらおたがいを知り合おうとも究極的に見て自分以外はすべて他人なのだ。他人が自分になることはできない。相手をわからないもどかしさは、同時に自分のかたちをつくる境界だ。取り払えば個が失われる。同じにはなれない、だからこそ人は自分以外を知りたがるのだろう。
 水気のない佳主馬の泣き顔に健二は気持ちを正す。いまの態度はたしかに軽率だった。
「――――ごめんね。佳主馬くん」
 立ち止まったまま距離を埋めずに健二はそう言った。ボーダーライン、のつもりではないけれど。
 物言いたげな視線を向けてきていた佳主馬は黙ったままこくりとうなずき、何気ない仕草で「ん」手が差し出される。
「なに?」
 手のひらを上にして伸ばされたそれに健二は首をかしげた。勝手に大きさを測る目が得た情報はすぐさま脳に届いて数値化される。大きな手だ。もしかしたら健二より大きいかもしれないそれははじめて出会ったときの華奢なそれとはくらべものにもならない。
「えっと」
「荷物。貸して」
「えっ。そんな、わるいよ」
「いいから」
 強調するようにふたたび手を突き出される。顔を見てみれば、半分は前髪に隠れているもののむくれている感じにも取れてちょっとだけこまった。このまま断っていても堂々めぐりになりそうな感じがひしひしとする。
 健二たちがいるのは言わずとも昼間の病院の待合所で。通院している人や見舞客、入院患者に病院関係者と人の目はすごく多い。そんな衆人環視のなかで冗談みたいな容姿の男の子(に括るにはもうそろそろ無理がある)がドラマさながらの行動をしていて目立たないはずがない。イコールで結べば健二も同じくらい目立っているということ。それってつまりすごい恥ずかしい。
 頭の隅っこで広げた式をすぐさま証拠隠滅的にまるめてゴミ箱に捨て、肩に背負ったデイパックをうまい具合にして手にもつと佳主馬にあずける。昨日のままレポートパッドとペンケースしかはいっていない鞄は重さ以上に軽々ともちあげられ、「コート着たら?」言われてあわててベージュのハーフコートに袖を通す。去年までは紺色のダッフルコートだったのをこの冬ようやく新調したものでこれが見た目に反してなかなかにあたたかい。
 ボタンを二つ、三つだけ留めて、健二は佳主馬の顔を見る。いまはわずかばかり低いところにあるが数カ月もすれば抜かれてしまいそうだ。実はいまでもじわじわ伸びているのでもう少し逃げたい。逃げ切るのはまず無理なので高望みはしない。
「ありがとう、佳主馬くん」
「べつに」
 どうやら手ぶらで来たらしい佳主馬はデイパックを肩にかけるとぷいと顔を背けた。踵をくるり返してすたすた玄関のほうへ向かって行ってしまう。切り替えが早い。
痛み止めや化膿止めなどの薬剤はすでに受け取っていたし手続きも今朝のうちに済ませているからこのまま帰ってしまって全然かまわない。最後にナースステーションに挨拶をしていくべきだろうかと考えていたけれどどうせ明後日また来るのだし、必要ないかと判断して健二は佳主馬の背中を追いかけた。足に怪我はないから歩こうが走ろうが飛ぼうが跳ねようがなにも問題ないのだが一瞬だけこちらを振り向いた佳主馬の目がこわかったので早歩き程度だ。
 がこん、と佳主馬が開けた強化ガラスの自動ドアを抜ける。
「さむっ!」
 上から見たときは日が照っていてあたたかそうに見えたけれど実際は一二月の末らしい気温で健二は思わず首を亀のように引っこめる。昨日はあたたかかったし夜遅くまで出歩く予定でもなかったからマフラーを巻いてこなかった。
 無意味な唸りをあげながら自分で自分の腕を抱いてさすっていると、ぱっと見かなり薄着に見えるのに寒さなど感じていなさそうな佳主馬がいつの間にか傍に寄っていて健二のコートの裾を引いた。身長差が顕著だった数年前までよくされていた合図。最近はとんとなくなってしまったそれに健二は目を見張る。
「健二さん。ケーキ食べたい」
「ケーキ? ……あ、そっか。昨日クリスマスだったっけ」
 一瞬、ケーキなんて可愛らしいものがどこから出てきたのか考えてしまったけれど、カレンダーを見れば考えなくてもわかるものだった。記憶を掘り返せば約束したような気もする。たしかに甘党なのは佳主馬のほうだけれど(本人は格好わるいと思って隠しているつもりらしいが駄々漏れだ)、言い出したのは健二だ。
「……じゃあ、ケーキ買って帰ろうか」
 そう言ってコートをつかむ手をにぎってやれば、まるで子どものように佳主馬はうなずいて手もにぎり返される。大概健二の事故が原因なのだろうがめずらしいそれがなんだかとても微笑ましい。普段は年齢以上に振る舞っているから余計にそう思うのかもしれない。男ふたりで手をつないでいるのは少々見苦しいものがあるか少しくらい見逃してほしい。
 佳主馬の手を引くように歩きながら健二はちょっとだけ笑う。
 せっかくクリスマスに来るのだからと提案したことなのに健二のせいで台なしになってしまったから。そのお侘びではないけれど買うのは佳主馬の好きなやつにしようと思う。前に聞いたのが正しければいちごのショートケーキ。クリスマスは終わったからホールケーキだって買えるだろう。


鍋②

一二月二五日・夜


 メールで送られてきたURLから飛んだ病院へのアクセス方法――正しくは地図の画像をイルミネーションがきらびやかな駅前で暇そうに缶コーヒーをあおっていたドライバーに突きつけ、アクセルをほとんどべた踏み状態で有料道路やら裏道やらを駆使してもらったタクシーが病院のロータリーにすべりこんだのはとっぷり暮れた一九時近くだった。連絡が来てもう一時間以上になる。ドライバーに額の大きい紙幣を数枚渡し釣り銭も受け取らないまま着替えとノートパソコンをつめこんだスポーツバッグをかついで佳主馬はタクシーを飛び降りた。東京のタクシーはこわいなんて噂があった気もするがノリのいいドライバーでよかった(うっかり恋人が事故に遭ったと勘ちがいされたけれど否定はしない。しない)。
 二重になっているガラス張りの自動ドアをくぐり、ひとり掛けのソファをつないだような長椅子がずらりとならぶ待合所の片隅に佐久間の姿を見つけ、そちらに向けた足が自然と早くなる。たいした運動でも距離でもないのに心臓はばくばく打ち鳴らされて静まる気配もない。全身が打楽器になったみたいだ。
ソファではなく自販機横の壁に寄りかかって腕を組んでいた佐久間もまた佳主馬に気づいたらしく、ひらりと右手で挙げられた。
「健二さんはっ!?」
 開口一番、意識せずに佳主馬はそう噛みついていた。病院であるという認識は辛うじてあったから音量は然程のものではなかったがそれでもほとんどさけんだようなものだ。まるで詰問。別に佐久間がわるいわけではない。それはちゃんとわかっている。頭では理解している、しかし耳の奥からひびく音は治まらない。減速しない鼓動は悪夢の呼び水にでもなるつもりなのだろうか。
「まあまあ。まずは落ち着けって」
 まるで聞き分けのない子どもをなだめるようなその態度にかっと血がのぼり、佳主馬は歯を強く噛んで一気に詰め寄った。
「これが落ち着いていられる――っ」
「あー、……まあキングには酷だわな。うん」
 おそらくは自分を納得させるためだろう、佐久間は数回うなずき、「とりあえず座ろうぜ」言いながら自動ドアから外に出た。
 思わずなにかを言いかけ、しかし佳主馬は口をつぐむとカラフルなボタンのついたステッチ入りのPコートを追いかける。
この季節には骨身が凍みる屋外に設けられているのは喫煙スペースだ。冷えたベンチに腰かけてポケットを漁る佐久間からしてなにを探しているかなど考えなくてもわかること。
「それで。どうなの?」
 座らず、挑戦的にも喫煙者の真正面に立って見下ろしながら佳主馬は言葉を変えて単調に訊ねる。
「ん? ああ、健二ね。あいつなら無事。超生きてる」
「けがは?」
「頭と腕打ったくらいでほかはなんとも。さすがに今日は検査で入院だとさ」
「そう……」
 無傷であるかはさて置き、いのちに別状がないとわかって全身の力がどっと抜ける。佳主馬の肩から円筒型のバッグがどさりとすべり落ちた。へたりこまなかったのはもう意地だ。本人を前にしていたらどうかはわからないけれど。
「なになに? 安心した?」
「当たり前……」
 ぼそりとつぶやき、けらけら笑って首を小さくかしげさせた佐久間をにらみつける。
「なんでそんな落ち着いてんの」
「そりゃね。三〇分も前に医者から聞かされれば嫌でも落ち着くって」
 肩をすくめ、それから、吸っていい? と目で問うてきたのに佳主馬はうなずいて返す。
「どーも」
 言いながら佐久間はありふれたハードケースから一本抜き取ると口にくわえ、左手を風除けに安っぽいライターで先端に火を点けた。ひと息に喫みこみ、まるで呼吸のように煙が吐き出されて夜風に伸びる。
 どこかで嗅いだにおいだと、こちらは呼気を白く凍らせながら佳主馬は無意識に眉根を寄せた。
 自分のまわりにいる喫煙者の数は両手で足りて、近しい親族にかぎるのであれば万助と直美のふたりだけだ。父は煙草も酒も炭酸も駄目だし、侘助などいかにもヘビィスモーカーに見えるが煙草はやらないと豪語している。喫んでいるのは意外にも理一のほうだ。極々たまに縁側で口慰みにこっそりくわえているのを理香に文字通り煙たがられているのを観たことがあって、しかしそれはあの(大きな声ではとても言えないが)意味不明な伯父がよほど苛立っているときだ。主な被害者は運悪くも帰宅中の侘助なので矛先が佳主馬に向いたことはないけれど可能なかぎり遭遇したくない。触らぬ神になんとやら、だ。
 佐久間がフィルターに口をつけるたびにちらちら燃えるタバコの葉を見て佳主馬は自分自身を強制的に落ち着ける。だいじょうぶ。煙が沁みた目を閉じ、だいじょうぶだからと口のなかでくり返し唱える。
 実際にこの目で見ないうちからまるきり安心だなんてとても無理だしできそうにないけれど間が置かれたのは結果論的に正しかった。血がのぼっているのか下がっているのか、興奮しているのか硬直しているのかも自他からわからないような状態と勢いのまま病室に飛びこんでいたらどうなっていただろう。反証もできないそれほどまでにいろんなものが欠けていた。同時に、健二の存在が自分にとってどれだけ大きく、重要なものであるかが眼前に突きつけられ思い知らされた。
依存ではなく、寄生でもない。小磯健二という人はもうすっかり佳主馬の日常を構成する一部になっていただけのこと。それが突然壊れてしまうのは世界の崩落にも等しい。
心臓の上をぎゅうとつかむ。
 赤い暗さのなかに佳主馬が見たのは目蓋の裏に焼きついたあの夏のこと。
 栄が亡くなったときに一族を奮い立たせてくれたのは健二だった。彼は魔法使いだったからみんなに魔法をかけてくれた。敵討ちという名目でかなしみを使命感にすり替えていただけの、とっておきの魔法。
 挿げ替えられた気持ちは背後からついてきて襲いかかって来たけれど、それすら佳主馬は健二に助けられた。健二がいてくれたから佳主馬は思いきり曾祖母の死を真正面から見て、かなしんで、泣くことができた。くやしいけれど夏希や侘助も同じ、みんなが健二に救われたようなものだ。
 それなのに。
「事故に遭ったの、なんで?」
 自身を完全に落ち着けることに失敗した佳主馬は吐き出される煙越しにそう訊ねた。詰問するみたいなきつい感じの口。加害者が佐久間でない情報はきちんと記銘されている。けれど問わずにはいられなかった。ただ、事故に遭いました、それだけの情報で納得できるほど佳主馬はおとなでもなければ結果だけを飲みこめる人間ではない。
 何事においても過程が重要だと教えてくれたのも健二だった。数学において重要視されるのは結果よりも過程だと、どのような道筋でもって到達したかが肝心だと何度もくり返していた。もっとも、彼の言うことは彼独自の法則で導き出された結果ばかりで、しかし過程を大事にしていることは佳主馬もちゃんと知っている。世界は結果論でまわっているようなものだから注目されることは少なく、それでもいついかなる場合や事象においても道程は存在する。
 そういうのとは少しちがうのかもしれないが経緯は知っていたかった。交通事故は人のいのちを簡単にうばっていく人災だ。今回は最悪よりも手前だけれど、もし最悪の場合だったなら健二がいなくなってしまっていたかもしれない。想像するだけで背中がぞっと寒くなる。考えるのもおそろしい。
「ひと言で言うなら、貧乏くじってやつ?」
「はあ?」
 道化た佐久間の物言いに、佳主馬は不快感を隠さず眉をひそめた。
「なにそれ」
 佐久間が健二を小馬鹿にしたように言うのはなにもいまにはじまったことではなくて、しかし佳主馬にはそれがいまでも気に入らないでいる。双方ともに認める親友同士らしいが単純に気に入らない。面と向かって言ったことはないし、向こうがどう思っているかはわからないけれど佐久間は夏希とならぶライバルだ。付き合いの長さで言えば又従姉よりも年季がはいっていてちょっとやそっとでは崩せない信頼関係ができあがっている。もちろん負けるつもりはしない。
 ゆっくりと煙を吐き出し、備えつけの灰皿に灰を落としながら佐久間はふたたび煙草をくわえた。赤く点る先端がもごもごと上下する。
「なんでも、ボールおっかけて飛び出してきた子どもを避けようとした車に当てられたみたいでさ。あ、慰謝料やら医療費なんかは子どもの親と運転手が折半ってことでまとまりかけてるらしいぜ?」
「警察は?」
「細かい事情聴取なんかは後日やるって。それにしてもさ、なんかベタすぎちゃって笑えないよなー」
 短くなった煙草を灰皿に押しつけながらけたけた笑い、佐久間が言った。
 ベタもなにも事故が笑い事だろうか。いくら医者から直接説明を受けたとはいえ、現実を現実と見ていないような発言に佳主馬は違和感を覚えた。なにかがおかしい。どこかでさわったことのあるようなそれに佳主馬は心のなかで首をかしげ、しばらくもしないうちにひとつ思い当たる。
 これは本当に予測でしかないがおそらく佐久間も健二寄りの環境で育っているのだろう。家庭がさみしいとかそういうことは知らないけれど、たとえば陣内家みたいに横のつながりは希薄な気がする。だから近しい人がいなくなる、もう会えないという感覚が確立していないのかもしれない。平均寿命が延び、長寿大国とも言われる日本の高齢社会は生死の観念をゆっくりと殺いでいる。両腕を伸ばした範囲外のことはすべて他人事で、手遅れになってからでないとなにもわからない。
 いなくなるはずがないという幻想を無意識に信じきっていた人にもう会えない現実を佳主馬はもう四年も前に経験した。今回は大丈夫だった。けれど次がないとは言いきれない。それはとてもこわいこと。健二だけではない、池沢佳主馬の世界を織りなす人たちが誰かひとりでもいなくなってしまうのは恐怖以外の何物でもなかった。
 ひどい話、あの夏の日に健二がああしてOZのことに目を向けられたのはある意味で他人事だったからだろう。曾祖母と最後に話をしたのは健二で、少なからずとも影響を受けてはいたもののあのときはまだ縁の細い人同士だった。直美の発言を思い出してもわかるように、健二が陣内の人間として認められたのは佳主馬が負けてもあきらめなかったからだ。
 喪失の傷はいつか癒える。治らずともうすくなる。結果から見れば歯車がうまく組み合わさった予定調和じみた展開。でも後悔がないわけではなくて。
 東京で育つとみんなこうなってしまうのだろうか。見当ちがいにもほどがあるそんな疑問すら胸に浮かんできた。
「おーい?」
 目の前でひらひらと手を振られ、佳主馬はぱちりとまたたいた。はずれていた意識と焦点がふたたび佐久間に合わさる。
「どうした? 妙にぼんやりしてたけど」
「なんでもない」
 不自然でない間を置いてひと言を返し、やさしさの欠片もない攻撃的な白煙に少しだけ咳きこんだ。眉をひそめ、鼻と口に手の甲を当てる。
「こっち流さないでほしいんだけど」
「わるいわるい。と、キングって煙草駄目な感じ?」
「べつに平気だけど。においつくと学校がうるさいから」
「あー、なるほどね」
 佐久間は納得したような声をあげ、煙草を灰皿の縁にとんとんぶつけて灰を落とした。納得はしても火は消さないらしい。
 さいあく、と佳主馬は声には出さない悪態をついた。
 正直に言って佳主馬と佐久間の相性はあまりよくない。同調するでもなく反発するでもなく、たとえるならば同じ体育館でバスケットボールとバレーボールをしているようなものだ。系統としては同じ、フィールドも似たものがあるが内容は絶対的に異なる。ニュアンスとしてはこんな感じ。それにしてもわかりにくい表現だ。
 あまり人に言えたことではないが高校にはいってはじめて佳主馬は国語的センスが壊滅的であることが発覚した。高校受験はしたけれど直前までの模試の判定は浮き沈みがひどくひどくて、滑り止めの私立高校に提出する自己PRなんて何度書きなおしたかわからない。いままで受け身の文章しか書いていなかったせいだ。わざわざこちらから自分を売らなくても買ってくれる企業等々は余るほどあった。弊害として要約やら小論文やらがとても苦手だ。古典とか機械語を読むよりむずかしい気がする。何語だ、あれ。
「そうだよなあ。キングももう高校生だもんなあ」
「……なに。その言い方」
「いやいや。時間が経つのは早いなってこと」
 指のあいだに煙草をはさみ、両手を顔の高さにあげて降参を示しながら佐久間が言った。
 今年の三月に中学校を卒業し、四月から佳主馬は世間一般の当たり前に則って高校生になった。進学先は自宅から自転車で通える距離にある尾張学区の公立校、制服は中学校と変わらず学ランだ。入学していたばかりのときは中三で着ていたものの校章のはいったボタンと襟章を付け替えただけで済んだけれど結局夏になる前に新調する羽目になって、ふたまわりもサイズを大きくしたからそれなりにぶかぶかとしている。もちろんすぐに合うようになるだろう、なってもらわなくてはこまる。佳主馬の身長は現在一六〇センチに達したところだ。健二はおろか夏希よりもまだ低い。もっと本気出せ成長期。
 言い方は気に入らなくても、たしかに佐久間の言うとおりだった。時間の経過は早く、そして遅い。佳主馬は早くおとなになりたいのに地球は二四時間で一回しかまわらなくて一年間は三六五日、四年に一回は三六六日だ。その上時間は佳主馬だけに流れているわけではないからいつまでたっても追いつけやしない。
 風向きが微妙に変わったのか、立ちのぼる煙がほわりと建物の方向へ流れていく。その先をなんとなく目で追いかけた。
「……煙草吸って嫌がられない?」
「窓なかったりする部屋だと嫌がるけど」
 主語のない問いかけに平然とした答えを返される。わざわざ言うまでもない誰かのこと。そもそも、佐久間とふたりで会話するにあたって話題にのぼるのは健二とOZのこと以外にそうそうない。はっきり言ってしまえばそれ以外に共有できる話題がないのだ。年齢差の壁は伊達ではない。佳主馬が健二と会話ができているのはおたがいちょっとずつ妥協しているからだ(それに加えて健二は主に数学にかかわる話がほとんどだからソースを探すのは楽だ。ただし理解も共感もむずかしい)。
「ま、健二だって吸わないわけじゃないしな」
 最後にそう付け足して佐久間は煙草をもみ消した。
 まるで、自分のほうが健二のことをわかっています、みたいな発言にむっとする。
 話には何度も聞いているけれど健二の喫煙シーンを佳主馬が実際に見たことはない。見せてくれないどころか佳主馬と会うときは絶対に煙草をもってこないほど徹底している。ヘビィスモーカーではないようだからそれでも平気らしいけれどこちらとしてはなんかおもしろくない。佐久間はもちろんのこと、たぶん夏希も見たことあるのだろう。十中八九佳主馬を気遣ってのことなのだろうけれど余計なお世話にも思えてしまう。健康のことを考えたらやめてくれるのが一番でも、自分の知らない健二の顔があるかと思うとやっぱりずるい気がする。思考がめえちゃくちゃ女子のそれでさすがに気持ちわるいというか、自分であきれてしまうけれどそれも仕方がないと開きなおる。だってそれが本音だ。
 本当は。本当のことを言えば佳主馬は東京の高校に行きたかった。その思いは地元の高校に進学したいまも胸の奥底でくすぶっている。
 しかし、中二の終わりのころ、進路調査のアンケートにその旨を書いて提出したら担任と進路指導担当から呼び出しを喰らい、中三の夏休みにあった三者面談(これのせいで上田に行くのが一週間も遅れた)では母ではなく担任に盛大に嘆かれ、家では勘ちがいした妹に泣かれ、果てはどういうラインを使ったのか健二にまでOZ越しに説得された。
 味方が誰もいないような状況になったのはもちろん理由があって。あまりにいっぱいいっぱいすぎてあり得ない痴態をさらしたので努めて思い出さない(むしろ消し去りたい)けれど、わかったのは高校生はちっともおとなじゃないということだ。中学生とくらべればできることは多くても、それでもやはり未成年。いくら背伸びをしたところで法的にも世間的にも性能的にもすべての場面で責任が負えるわけではない。もしも佳主馬が原因で何かが起きたとして、それで責任を問われるのはいっしょにいる年上の誰かだ。
 ふと、佳主馬は自分の手のひらを見下ろした。あのころよりずっと大きくなった手だ。まだ健二には届かないけれど背が伸びて、体格もがっちりとした男のものでもう女にまちがえられることはない。声だって低くなった。みんな変わった。からだばかりがおとなになって、あの夏にいた自分を置いていくような気がして。けれどぜんぶ自分で。
あの夏から三年と数ヶ月。見た目も声も変わってしまったけれど、それでも佳主馬は数年経ったいまでも変わらずにたったひとりのことを好きでいる。想っているのとはちょっとちがう。佳主馬がくすぶらせている気持ちは、きっとそんなやさしいものではないだろうから。
「さーて、一服したし」
 ベンチから立ちあがり、ぱんぱんと服をたたいた手をPコートのポケットにつっこんだ佐久間は軽く首をかたむけてみせた。
「そろそろ健二のところ行く?」
「え」
 思いがけないそれに佳主馬は目をまるくさせた。佐久間の顔を凝視する。
 事故に遭って、入院で。どうしてだか絶対に会えないと思っていただけにふつうにおどろいた。それに、健二に会うということが念頭になかったことよりも、当たり前に会えないと思っていたことに佳主馬はぎくりとする。もう会えないことはとてもこわいのに、無意識はそれを当然のものとしていた。
 親指を内側に入れてつくった拳を強くにぎりしめる。ひどい自己嫌悪。会えないなら会いにいかないつもりだったというのか池沢佳主馬。それはもう負けを宣言しているようなものだ。彼への、そして自分に対する裏切りだ。最初から負けを認めている証拠。なんだそれ。冗談じゃない!
 佳主馬はきっと前を見据えた。自分の弱さというか逃げに気づけたのは思いがけない幸運だった。省みればほかにも逃げていた場面はたくさんあるだろう、しかしもう確認は成った。
 にぎった拳をゆっくり解きながら三年前に決めたことを思い出す。健二であった年の冬、半分の月がとてもきれいに見えたあの夜に佳主馬はちゃんと決めたのだ。
「だーいじょうぶだって!」
 黙っているこちらをどう捉えたのか、佐久間はおどけた様子で佳主馬の肩をたたいた。これが数年も前なら確実に頭を撫でられている。過去三年で佐久間とオフラインで会ったことは両手の指の数よりも多いくらいで去年はほとんど会えていない。だからこそ先ほどのセリフにつながるわけだ。彼のなかで佳主馬は中学生で止まっている。ギャップがあるのだ。いくらライヴチャットで顔は見ていようとも実際に会うのとは全然ちがうから、だから佳主馬もなるべくパソコン越しでなく会おうとして機会を設けたのだ。そうでないといつまで経っても佳主馬は子どもとして認識されたままだ。
「面会謝絶なわけじゃないし。あ、でもたぶん寝てるかもな。どうする?」
 健二よりも少しばかり背の高い佐久間に見下ろされ、いつかかならず抜いてやると思いながら佳主馬は首を左右に振るう。
「……いい。やめとく」
 意外そうに眼を見張られたが自分自身でも意外だと思った。健二にはたしかに会いたいけれど、同じくらい会いたくない。まだ色濃く残っている自己嫌悪も一因のひとつ。なにより眠っている健二に会うことが嫌だった。寝顔や寝姿は上田でよく見ている、しかし病院という空間がいけない。病院は単純に考えてもあまり好きになれない場所だ。曾祖母が往生したのは上田の家で、曾祖父もそうだったと聞いている。佳主馬は親族を病院で看取った経験はないがそれでも病院で眠るという状況は嫌なイメージしか浮かんでこない。
 直接会ってたしかめなければ安心なんてとてもできない。けれど眠っている健二に会ったところで安心なんてできるはずがない。
 眠りは死にとても近いものだと教えてくれたのはもういない曾祖母だ。だからちゃんと起こしてあげなくちゃいけない。あなたがいるのはこちらなんだよ、と手を引いてあげなければいけない。そう聞いたのはずっと小さいころで、(思い出してみるとおどろくことに)ひとり離れた一室で寝起きしていた侘助を起こしにいった際だ。三歳になるかならないかのことなんておぼろげにしか残っていないが曾祖母の言葉は強烈なまでにしっかりと残っている。
 その曾祖母はもういない。もう会えない。
 けれども健二はまだいる。まだ、会える。
 思いつめていたわけではないけれど、佳主馬と同じように黙ってしまっていた佐久間は唐突に自分の髪をがしゃがしゃとかき混ぜた。
「んー、キングが行かないんじゃおれも帰ろうかな」
 佐久間はそれでかまわないらしい。やはり佳主馬とは情報の受け取り方も処理の仕方も異なっている。逆に一晩中そばにいると宣言されてもそれこそ微妙だが。むしろいらっとするが。
 我ながら幼稚で女々しい発想だと思うそれを展開させてひとりで腹を立てているあいだに佐久間は喫煙セットのはいったポケットとは反対のそこにつっこんだままの手を引き抜いた。ちゃり、と金属同士がぶつかる音がたてたそれはまっすぐ佳主馬の眼前に吊るされた。
「健二ん家の鍵。キングに会ったら渡してくれって頼まれてた」
「健二さんが?」
「そ。もしもホテルとか手配してなかったら泊まるところないだろうからって。キング場所知ってるんだろ?」
 とくに躊躇う理由もなく素直にうなずく。OMC関連で東京に来ることになったときに宿泊場所はだいたい健二の家だから場所はもう覚えている。
 佳主馬がキング・カズマのユーザーで、うさぎ型の相棒がOMCでどれほどの位置に置かれているかの理解度は夏希よりも健二のほうが高い。それならば両親や夏希にOMCのことで東京へ行くというよりも健二のところへ遊びにいくと言ったほうが説得は簡単だ。もちろんそれは言い訳で、けれど本音はOMCのほうが大義名分だ。話し合いなんてライヴチャットで十分こなせる世の中だ、それなのにわざわざ新幹線に乗って東京に向かうのは健二に会いたいからにほかならない。
 手のひらを皿にして差し出せばそこに鍵が落とされる。夜の空気に冷やされた金属は肌に張りつきそうな温度していて痛いような感覚がある。反射的ににぎりこめば体温と金属のそれが混ざり合った。
 ぐにゃりとした生ぬるい温度にあたたまる鍵をとりあえずパーカーの前ポケットに入れ、わずかに頭を下げる。
「……どうも」
「いやいや、おれただのメッセンジャーだし。どうせなら明日迎えにきてやってよ」
「迎えって、明日退院?」
「検査入院だしな。なにもなければ明日で帰れると思うぜ?」
「そう」
 入院日数の目安は知らない。佐久間の口ぶりからして交通事故などのときは骨折や意識不明の重態でもないかぎり一泊二日程度のようだ。入院なんて身近なところでは母が妹を産むためにしたくらいにしか身に覚えがないから妙に焦ってしまった。
「佐久間さんは?」
「おれは明日もゼミがあるんですー。ったく、世間はクリスマスだっていうのにな。独り者はさびしいぜ」
 あーあ、と肩をすくめる佐久間に佳主馬はひとつまばたいた。クリスマス。そう言えばすっかりすっぽ抜けていたけれど今日はクリスマスだった。気がついてみれば病院の敷地内にある木々もおざなりにイルミネーションが施してあって、受付のところにもツリーが置かれていたような気がする。一二月のありふれた光景だからすっかりスルーしていたけれど今日はその本番だ。イエス・キリストが生まれた聖なる日。仏教徒や神道の多いはずの日本では本来関係ないはずの、冬のお祭り。
 ケーキとか買ってお祝いしようかと言っていたのを思い出した。
 周到なことにタクシーを呼んでいるらしい佐久間から視線をはずして佳主馬は病院の四角い建物を見あげ、高いところの窓を数える。正確な場所はわからないけれどこのあたりかなと適当な当たりをつけて、「また明日」小さくつぶやいた。
 髪を散らしていった風に、苦い草のにおいが香った気がした。


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